黄色い花瓶に、あふれるほどのひまわり。背景までまるごと黄色で塗られたこの絵は、世界でいちばん有名な「花の絵」と言っていいと思います。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853–1890)の《ひまわり》です。
でも、この《ひまわり》が「実は7枚ある」こと、そのうち1枚が東京で見られること、さらに1枚は戦争で焼けて失われてしまったこと——ここまで知っている人は意外と少ないかもしれません。この記事では、ゴッホがなぜひまわりを描いたのか、どこを見れば面白いのか、そして今どこで本物に会えるのかまでを、順番に見ていきます。
《ひまわり》はどんな絵?
作品データ:《ひまわり》/1888年/油彩・キャンヴァス/92.1×73cm/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵(NG3863)
いちばん有名な《ひまわり》は、ロンドンのナショナル・ギャラリーが持っている1枚です。1888年、南フランスの町アルルで描かれました。ひとつの花瓶に15本のひまわりが挿してあり、つぼみから咲きほこった花、そして種になりかけて枯れていく花までが一緒に描かれています。左下の署名は「Vincent」。ゴッホは自分の名字(ファン・ゴッホ)が外国の人に発音されにくいと感じていて、ファーストネームだけでサインすることが多かったんです。
なぜゴッホは「ひまわり」を描いたのか
《ひまわり》が生まれた背景には、ゴッホのある夢がありました。それは、南フランスに気の合う画家仲間で暮らす「南のアトリエ」をつくること。その最初の一歩として、ゴッホは画家ポール・ゴーギャンをアルルの「黄色い家」に招きます。
ゴッホは、ゴーギャンがひまわりの絵を気に入っていたことを知っていました。そこで客間を飾るために、大急ぎでひまわりを描いたのです。花はすぐにしおれてしまうので、まさに時間との勝負でした。弟テオへの手紙には「ブイヤベースを食べるマルセイユ人みたいな勢いで描いている」と書き残しています。最初の4枚は、1888年8月のわずか1週間ほどで一気に描かれました。
ちなみに、ゴーギャンとの共同生活は長くは続きませんでした。1888年12月、二人は激しく対立し、ゴッホは自分の左耳の一部を切り落としてしまいます。ゴーギャンはパリへ帰り、二人が再び会うことはありませんでした。この事件については、ゴッホの耳と死の真相を検証した記事で詳しく書いています。
見どころ①:ひとつの花瓶に描かれた「花の一生」
《ひまわり》をよく見ると、15本の花がぜんぶ同じ状態ではないことに気づきます。左下にはこれから咲くつぼみ、中ほどには満開の花、そして周りには花びらを落として種になりかけた花——つまり、つぼみから枯れるまでの「花の一生」が、一枚の中に同居しているんです。
これは、17世紀オランダの静物画によくある「ヴァニタス」という考え方につながります。ヴァニタスとは、花や果物がやがて枯れていくように「この世のものはすべて移ろう」ということを表す寓意(ぐうい/別の意味を込めた表現)のこと。ゴッホは花の生と死をひとつの画面に収めることで、ただの飾りではない奥行きを持たせています。
一方で、ひまわりはゴッホにとって「感謝」の花でもありました。晩年の手紙で、ゴッホは自分のひまわりの絵が「感謝」を象徴している、と書いています。太陽のほうを向いて咲くひまわりは、友情や、自分を支えてくれる人への気持ちとも重なっていたのかもしれません。
見どころ②:黄色だけで描くという挑戦
作品データ:《ひまわり》/1888年/油彩・キャンヴァス/91×72cm/ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン)蔵
ゴッホは《ひまわり》を「黄色だけの絵」と呼んでいました。実際、花も、花瓶も、背景も、テーブルも、ほとんどが黄色系です。よく見ると、こっくりしたオレンジ寄りの黄色から、背景の淡い黄緑まで、たくさんの黄色が使い分けられています。ひとつの色でここまで表情を出せるのか、と驚かされます。
この鮮やかな黄色を支えたのが、クロムイエローという当時の新しい絵具でした。19世紀に広まった明るい黄色の顔料(絵具のもとになる色の粉)で、ゴッホの黄色を語るうえで欠かせません。ただ、この絵具は時間とともに一部が茶色っぽく変化することが、その後の科学調査でわかっています。つまり、今僕たちが見ている黄色は、描かれた当時より少し落ち着いた色になっている部分もあるわけです。
もうひとつの見どころが、絵具の「厚み」です。花の中心の種の部分などは、絵具をこんもりと盛り上げるように塗ってあり、これをインパスト(厚塗り)と呼びます。ザラザラした種の質感が、絵具そのものの立体感で表現されているんですね。さらにゴッホは、黄色と黄色が接するところに細い青い線を入れて、画面が間のびしないように引き締めています。黄色と青は、たがいを引き立て合う補色(色相環で反対どうしにある色)の関係。この一本の青が、じつはよく効いています。
上の画像は、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにある《ひまわり》です。こちらは花が14本で、背景が青緑。ロンドンの黄色い背景の1枚と並んで、シリーズの中でも特に重要な2枚とされています。ゴッホはこの2枚に「Vincent」と署名し、のちにブリュッセルの展覧会にも出品しました。
《ひまわり》は全部で7枚ある
実は、花瓶にいけたひまわりの絵を、ゴッホは全部で7枚描いています(アルル時代、1888〜1889年)。1888年8月に4枚、そして翌1889年1月に、気に入った作品を自分で描き写した複製を3枚。ゴッホはこの複製を「まったく同じ、そっくりな複製」と呼んでいました。
7枚のうち、現在わかっている状況はこうなっています。
- 1枚は個人蔵で、長年ほとんど公開されていません。
- 1枚は1921年に日本人が購入しましたが、第二次世界大戦中に焼失してしまいました。
- 残る5枚は、世界の美術館で見ることができます。ロンドン・ナショナル・ギャラリー(イギリス)、ファン・ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)、ノイエ・ピナコテーク(ドイツ・ミュンヘン)、フィラデルフィア美術館(アメリカ)、そしてSOMPO美術館(日本・東京)です。
公開されている5枚を並べてみます。背景が黄色のものと青緑のもの、そして花の本数(14〜15本)の違いに注目すると、見比べるのがぐっと楽しくなります。
黄色の背景
Public domain / Wikimedia
青緑の背景
Public domain / Wikimedia
黄色の背景
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青緑の背景
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黄色の背景
Public domain / Wikimedia
戦争で失われた1枚は、兵庫県・芦屋の実業家が所有していたことから「芦屋のひまわり」とも呼ばれます。日本にやってきたゴッホの《ひまわり》が空襲で焼けてしまった——というのは、やはり胸が痛くなる話です。だからこそ、今も日本で本物の《ひまわり》を見られることには、大きな意味があると思います。
《ひまわり》はどうやって描かれた?──ゴッホの描き順と手わざ
「あの厚塗りの花は、いったいどんな順番で描かれたんだろう?」——じつはこれ、近年の科学調査でかなり具体的にわかってきています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーとファン・ゴッホ美術館は、ロンドン版(1888年8月)とアムステルダム版(1889年1月)をX線などで詳しく調べ、ゴッホの描き方を比べました。X線調査とは、絵具の下に隠れた層まで透かして見る方法のこと。人間の骨のレントゲンのように、表面からは見えない「制作の痕跡」が浮かび上がります。
まず前提として、ゴッホはとにかく速く描きました。花はすぐにしおれてしまうので、最初の4枚は1888年8月のわずか1週間ほどで一気に仕上げています。時間との勝負のなかで、無駄のない手順ができあがっていたようです。
X線調査からわかった描き順は、ざっくり次のような流れでした。
- 花束の位置を、線でざっと下描きする。まず花のかたまりが入る場所を輪郭線で決め、その部分は塗らずに残しておきます(この「塗り残し」を専門用語でリザーブと呼びます)。
- 背景をまとめて塗る。花のスペースを空けたまま、背景の黄色を一気に塗り込みます。背景の筆づかいは、まるでかごを編むように方向をそろえた「バスケットワーク」状になっているのが特徴です。
- 花を厚塗りで描く。空けておいた場所に、花を絵具たっぷりで描いていきます。しかも下の絵具が乾かないうちに次の色を重ねる「ウェット・オン・ウェット」(乾く前に塗り重ねる技法)。だから絵具がぐいぐい動いて、花の芯のいちばん厚い部分は、絵具そのものが盛り上がって立体になっています。
- 最後に輪郭を描き足して締める。花をあらかた塗り終えたあと、もう一度輪郭の線を入れて形をはっきりさせています。
アムステルダム版も、基本的にはこれと同じ順番で描かれていました。つまり《ひまわり》は、行き当たりばったりではなく「場所を決める→背景→花→仕上げの輪郭」という、しっかりした段取りで組み立てられていたわけです。勢いだけの絵に見えて、じつはとても計画的なんですね。
《ひまわり》の花はすぐしおれるのに、どうして花より先に背景を塗ったのか
ここで「花はすぐしおれるのに、どうして花より先に背景を塗ったの?」と思うかもしれません。じつはこれ、いちばん大事な花を、新鮮なうちに一気に描くための準備なんです。背景はただの黄色い面なので、花をじっくり見なくても短時間でざっと塗れます。つまり、花の“鮮度”を使わずに、土台だけ先に片づけておけるわけですね。
それに、もし厚塗りの花を先に描いてしまうと、あとから背景をその周りに塗るのがとても大変です。まだ乾いていない花の絵具とにじんで色が濁りますし、花の形をよけながら塗らなければなりません。逆に、背景を先に敷いて花の場所を空けておけば、主役の花を、濁りを気にせず思いきり厚く塗れます。「背景が先、花はあと」は、新鮮な花に全力を注ぐための順番だった——そう考えると腑に落ちます。
《ひまわり》に使われた絵の具は?
絵具は、弟テオがパリの画材店(タセ・エ・ロト社)から送ってくれたチューブ入りの油絵具を使っていました。主役はもちろんクロムイエローです。しかも一種類ではなく、明るさの違う数種類の黄色を使い分けています。脇役として、ビリジアンやエメラルドグリーンといった緑、深い青のウルトラマリンなども少しだけ加えられていました。ロンドン版の署名「Vincent」も、この青(ウルトラマリン)で書かれています。
ちなみに、ちょっとした豆知識を。アムステルダム版は、上のほうに幅3cmほどの木の板を継ぎ足してカンヴァスを少し広げているんです。額のサイズに合わせるためだったのでは、と考えられています。この板をのぞけば、ロンドン版とアムステルダム版はほぼ同じ大きさ(当時のフランスの規格サイズ)。同じ絵をもう一度描くときも、ゴッホが元の1枚をどれだけ意識していたかが伝わってきます。
《ひまわり》で使われた黄色やウルトラマリンは、現在でもホルベインなどの油絵具で近い色味を再現できます。美術館で作品を鑑賞するだけでなく、自分の手でゴッホの色彩を体験してみるのもおすすめです。
ゴッホの黄色に近い絵具
現在はクロムイエローはほぼ流通していないので、こちらがおすすめです。
まずは「カドミウムイエロー」「パーマネントイエローライト」。発色がよい黄色といえばこれで、ひまわりの花びらの発色に最適。ウルトラマリンとビリジャンは黄色を輝かせる反対色として機能します。
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実物を見るときの、ちょっとしたコツ
《ひまわり》は写真でも十分きれいですが、実物ならではの魅力は「絵具の凹凸(おうとつ)」にあります。花の芯や種の部分は、絵具を盛り上げて塗ったインパストのおかげで、光の当たり方によって影ができ、表面がキラキラして見えます。だから美術館では、正面からだけでなく、少し斜めの角度からも眺めてみてください。ゴッホが筆やパレットナイフを動かした跡が浮かび上がり、絵が一気に立体的になります。
もうひとつのおすすめは、花を一本ずつ「主役」にして見ていくこと。満開の花、うつむいたつぼみ、種になりかけた花——それぞれ表情がまるで違います。全体を「黄色い塊」として見るのではなく、15本それぞれの個性を追いかけると、ゴッホが一本一本をどれだけ丁寧に描き分けたかが伝わってきます。花の絵というより、15人の「肖像画」を見ているような気持ちになるかもしれません。
日本で《ひまわり》は見られる?──SOMPO美術館
日本で唯一、そしてアジアで唯一ゴッホの《ひまわり》を所蔵しているのが、東京・西新宿のSOMPO美術館です。この1枚は、1987年に安田火災海上(現在の損害保険ジャパン)が創立100周年の記念事業として、ロンドンのオークション(クリスティーズ)で購入したもの。落札額は手数料込みでおよそ58億円とされ、当時、世界的なニュースになりました。
ただし、ひとつ注意点があります。SOMPO美術館は企画展を中心に運営していて、常設展はありません。つまり《ひまわり》がいつでも必ず展示されているわけではなく、展覧会の内容や展示替えによって、見られない時期もあります。訪れる前に、公式サイトのコレクションページで《ひまわり》が展示中かどうかを確認してから行くのがおすすめです。
2026年の話題──ロンドンの《ひまわり》が旅に出ている
もうひとつ、2026年ならではのトピックを。ふだんロンドンのナショナル・ギャラリーにあるあの黄色い《ひまわり》は、いま海を渡っています。アメリカのフィラデルフィア美術館で開かれる「Van Gogh’s Sunflowers: A Symphony in Blue and Yellow(青と黄色の交響曲)」(2026年6月6日〜10月11日)に貸し出されているのです。フィラデルフィア美術館は自館でも《ひまわり》を持っているので、青い背景と黄色い背景の《ひまわり》を並べて見比べられる、またとない機会になっています。会期や内容は変更されることがあるので、行かれる場合は公式情報をご確認ください。
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まとめ
《ひまわり》は、ただ明るいだけの花の絵ではありません。ゴーギャンを迎えるための飾りとして、花の一生を映す静物として、そして「感謝」の象徴として——いくつもの思いが、黄色い絵具の厚みのなかに塗り込められています。7枚それぞれに物語があり、そのうちの1枚は今も東京にあります。次に《ひまわり》を見るときは、ぜひ花を一本一本、その「今」を追いかけてみてください。きっと、これまでとは違う顔が見えてくるはずです。
ゴッホの代表作をまとめて知りたい方はゴッホ代表作の記事を、ポスト印象派の流れのなかでゴッホをとらえたい方は印象派とは?の記事もあわせてどうぞ。
