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ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》徹底解説|あの女性は誰?胸をはだけた意味・七月革命・どこで見られるか

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ウジェーヌ・ドラクロワ 民衆を導く自由の女神

三色旗をかかげ、倒れた人々を乗り越えて前へ進む女性。ウジェーヌ・ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》は、たぶん誰もが一度は目にしたことのある絵だと思います。教科書、切手、Tシャツ、アルバムのジャケット……いろいろな場所で引用されて、いまでは「革命」そのものを表す記号のようになっています。

でも、あらためて向き合うと疑問がわいてきます。中央の女性は誰なのか。どうして胸をはだけているのか。舞台になった戦いは何なのか。そして本物はどこで見られるのか。この記事では、その一枚をゆっくり読み解いていきます。僕自身は、整いすぎた名画とは違う、この絵の少し騒がしいくらいの熱量が好きです。

ウジェーヌ・ドラクロワ 民衆を導く自由の女神 1830年
ウジェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神(1830年7月28日)》1830年、ルーヴル美術館蔵。Public domain, via Wikimedia Commons

作品データ:《民衆を導く自由の女神(1830年7月28日)》/1830年/油彩・カンバス/縦約2.6m×横約3.25m/ルーヴル美術館(パリ)蔵

目次

まず、画面に描かれているものを整理する

画面の中心にいるのは、右手に三色旗、左手に銃剣つきのマスケット銃をにぎった女性です。彼女は前を向かず、少し振り返って後ろの人々をうながしています。その足もとには、倒れた兵士や市民が折り重なっています。

彼女の左側には、シルクハットをかぶって長い銃をかまえた男性。右側には、二丁の拳銃を高くかかげた少年がいます。背景には煙が立ちこめ、遠くにパリのノートルダム大聖堂の塔がぼんやり見えています。つまりこれは、パリの街なかで起きた戦いの一場面なのです。

中央の女性は誰?——「自由」を人のかたちにした姿

結論から言うと、彼女は実在の誰かではありません。「自由」という考えを、女性の姿にして表したものです。目に見えない考えや価値を人のかたちで表すことを、美術では擬人像(アレゴリー)と呼びます。ここでの女性は「自由の擬人像」というわけです。

この「自由の女神」は、フランス共和国の象徴であるマリアンヌと重ねて語られることも多い存在です。頭にかぶっているのは、先が前に垂れたフリギア帽。古代ローマで、解放された奴隷がかぶったとされる帽子で、そこから「自由」の象徴として使われるようになりました。フランス革命のときにも自由のしるしとして広まった帽子です。手にした三色旗(トリコロール)も、いまに続くフランスの国旗であり、革命の側を表しています。

なぜ胸をはだけているのか

初めて見ると少しどきっとするところですが、これも彼女が生身の女性ではなく擬人像だから、と考えると腑に落ちます。西洋美術では、古代ギリシャ・ローマの女神を思わせる姿として、あえて衣をはだけた「古代風」の表現がよく使われてきました。胸をあらわにした姿は、彼女が現実の一人の女性ではなく、理想や観念そのものであることを示すサインなのです。生々しい戦いの場面のなかで、彼女だけが少し神話的に見えるのは、そのためだと思います。

舞台は1830年の「七月革命」

この絵が描いているのは、1830年7月にパリで起きた七月革命です。当時のフランスは、フランス革命とナポレオンの時代のあとに王政が復活した「復古王政」のもとにありました。復古王政とは、革命でいったん倒れた王家(ブルボン家)が再び王位に戻っていた体制のことです。

その国王シャルル10世が、議会を解散し、出版の自由を制限するなど強引な政治を進めたことに、市民が反発します。1830年7月27日から29日までの三日間、パリの人々は街にバリケードを築いて蜂起しました。この三日間は「栄光の三日間」と呼ばれます。結果としてシャルル10世は退位し、かわって「市民王」ルイ・フィリップが王位につきました(七月王政)。ドラクロワはこの出来事にじかに触発され、その年の秋から冬にかけて一気にこの大作を描き上げています。

少年やシルクハットの男は何者か

この絵のおもしろいところは、戦っている人たちの身分がバラバラに描かれていることです。シルクハットの男性は、身なりのよい市民(ブルジョワ)と見られます。そのとなりには労働者ふうの人物、職人や学生らしき姿もあります。倒れているのは、鎮圧にあたった側の兵士や市民です。つまりドラクロワは、いろいろな立場の人が一つになって立ち上がった革命として、この出来事を描いているわけです。

右側で拳銃をかかげる少年は、しばしばヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』に出てくる少年ガヴローシュと重ねて語られます。ただし『レ・ミゼラブル』が発表されたのは1862年で、この絵よりあとのこと。直接の関係というより、後世の人が二つのイメージを結びつけて語ってきた、と考えるのが正確だと思います。左のシルクハットの男をドラクロワ自身の自画像とする説もありますが、これは俗説的な受け取り方で、はっきり確かめられているわけではありません。

ドラクロワ——ロマン主義の旗手

ウジェーヌ・ドラクロワ 自画像
ウジェーヌ・ドラクロワ《自画像》1837年頃、ルーヴル美術館蔵。Public domain, via Wikimedia Commons

作品データ:《自画像》/1837年頃/油彩・カンバス/ルーヴル美術館(パリ)蔵

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798〜1863年)は、19世紀フランスを代表する画家で、ロマン主義の中心人物とされます。ロマン主義とは、きちんとした形や理性を重んじる新古典主義に対して、感情・動き・色彩の力を前面に出そうとした芸術の流れのことです。ドラクロワの絵は、輪郭線でかっちり描くよりも、燃えるような色と大きな動きで感情に訴えてきます。この《民衆を導く自由の女神》も、整った構図というより、勢いと熱で押してくる絵だと言えます。

ドラクロワ自身は革命の戦列に加わったわけではありません。それでも兄への手紙で、祖国のために戦えなかったとしても、せめて祖国のために描こう、という趣旨のことを書き送ったと伝えられています。同じころのフランス絵画がどこへ向かっていったのかは、ロココからプリミティヴィスムまでの西洋美術史の流れや、のちのマネ《フォリー・ベルジェールのバー》の記事もあわせて読むと見えてきます。

この絵は何がすごいのか

この絵の一番のすごさは、その年に実際に起きたばかりの生々しい事件と、古代からの「自由の女神」という神話的なイメージを、一枚の画面で堂々と重ねたことだと思います。シルクハットの市民も、労働者も、拳銃を持つ少年も、みんな同時代の見慣れた人たちです。そこへ、時代を超えた「自由」の擬人像が並んで立っている。ニュース写真のような臨場感と、寓意画の格の高さが同居している。当時としては、とても大胆な組み合わせでした。

構図も効いています。倒れた人々を土台に、人物が三角形(ピラミッド型)に積み上がり、頂点でひるがえる三色旗へ自然と視線が引き上げられます。この積み上げていく構図には、少し前の世代の先輩画家テオドール・ジェリコーの《メデューズ号の筏》からの学びが感じられます。

ドラクロワは若いころジェリコーと親しく、《筏》の前景に横たわる人物のモデルを務めたとも伝えられます。海の遭難者たちが小さな帆に望みを託した構図の「帆」が、こちらでは「旗」に置きかわった——そんなふうに見比べると面白い一枚です。

テオドール・ジェリコー メデューズ号の筏
テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》1818〜1819年、ルーヴル美術館蔵。ピラミッド型に積み上がる構図が、《民衆を導く自由の女神》とよく似ています。Public domain, via Wikimedia Commons

作品データ:テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》/1818〜1819年/油彩・カンバス/ルーヴル美術館(パリ)蔵

そしてもう一つ。この絵は「革命」や「自由」を表す視覚的な原型(アイコン)になりました。特定の事件を描いた一枚が、時代も国も越えて、立ち上がる人々の象徴として使い回されていく。次に挙げるように、後の時代の作品やデザインにくり返し引用されているのが、その証拠だと思います。

後世の作品への影響とオマージュ

自由の女神像(バルトルディ、1886年)
ニューヨークの自由の女神像は、フランスから贈られた「自由」の擬人像です。片腕を高くかかげ、象徴的な持ち物(松明)をかざす姿は、旗をかかげるドラクロワの女神としばしば結びつけて語られます。ただし、これは正式に記録された「この絵をもとにした」という関係というより、同じ「自由の女神」という主題を共有する象徴的なつながりと考えるのが正確です。

自由の女神像 ニューヨーク
ニューヨークの自由の女神像(バルトルディ、1886年)。旗のかわりに松明を高くかかげる姿が、ドラクロワの女神としばしば重ねて語られます。Photo: William Warby, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

旧100フラン紙幣(1978年型)
フランスがかつて発行していた100フラン紙幣には、ドラクロワの肖像とともに、この《民衆を導く自由の女神》の一部が描かれていました。1979年から1990年代半ばまで使われた紙幣で、絵が国の顔として日常に溶け込んでいたことがうかがえます。

ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』(1862年)
バリケードで戦う市民や、身軽に動く少年ガヴローシュのイメージは、この絵とよく重ねて語られます。小説の刊行は絵よりあとですが、七月革命前後のパリの空気を共有していて、絵と物語がたがいのイメージを補い合ってきました。

レ・ミゼラブル ガヴローシュ エミール・バヤール
エミール・バヤールが描いた『レ・ミゼラブル』の少年ガヴローシュの挿絵(1862年)。Public domain, via Wikimedia Commons

コールドプレイのアルバム『美しき生命(Viva la Vida)』(2008年)
イギリスのバンド、コールドプレイは、このアルバムのジャケットにドラクロワの絵をそのまま使い、その上から「VIVA LA VIDA」の文字を白い絵の具で大きく書き加えました。名画を現代のポップカルチャーに引き込んだ、わかりやすいオマージュの例です。

ほかにも、政治風刺画やデモのプラカード、広告など、「立ち上がる人々」を表したい場面でこの構図はくり返し引用されてきました。一枚の歴史画が、これほど長く「自由」の記号として生き続けている例は、そう多くありません。

ドラクロワが後世の画家に与えた影響

影響は「この絵をまねた作品」だけにとどまりません。ドラクロワの絵づくり、とりわけ大胆な色づかいは、次の世代の画家たちを大きく動かしました。影を黒ではなく色で表したり、補色(色相環で反対どうしの関係にある色)を隣り合わせて画面を鮮やかに見せたりする手法は、のちの印象派や新印象派へと受け継がれていきます。

なかでもフィンセント・ファン・ゴッホは、ドラクロワの色彩を心から敬っていました。療養していた時期には、ドラクロワの《ピエタ》をもとに、自分の色でまるごと描き直した作品を残しています。白黒の複製版画を手がかりに、ゴッホが独自の色をのせ直した一枚です。

フィンセント・ファン・ゴッホ ピエタ ドラクロワによる
フィンセント・ファン・ゴッホ《ピエタ(ドラクロワによる)》1889年、ファン・ゴッホ美術館蔵。ゴッホがドラクロワの構図に自分の色をのせ直した一枚です。Public domain, via Wikimedia Commons

作品データ:フィンセント・ファン・ゴッホ《ピエタ(ドラクロワによる)》/1889年/油彩・カンバス/ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)蔵

ポール・セザンヌもドラクロワを深く尊敬し、先人へのオマージュとして《ドラクロワ礼賛》を構想しました。天へ上げられていくドラクロワを、モネやピサロといった画家仲間が見上げる——そんな敬意のこもった一枚です。

ポール・セザンヌ ドラクロワ礼賛
ポール・セザンヌ《ドラクロワ礼賛》1890〜1894年頃、オルセー美術館蔵。ドラクロワへの敬意を込め、画家仲間たちが天に上る先人を見上げています。Public domain, via Wikimedia Commons

作品データ:ポール・セザンヌ《ドラクロワ礼賛》/1890〜1894年頃/油彩・カンバス/オルセー美術館蔵(グラネ美術館に寄託)

色彩理論の面では、点描で知られるスーラやシニャックら新印象派にもつながります。シニャックはのちに『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義へ』(1899年)という理論書を著し、ドラクロワを自分たちの先駆けと位置づけました。ルノワールやマネのように、若いころドラクロワ作品を模写した画家も少なくありません。一枚の絵の話を越えて、ドラクロワは近代絵画そのものの入り口に立つ画家だと言えます。

描かれたあとの数奇な道のり

この絵は1831年、フランス政府(当時の七月王政)が買い上げました。ルーヴル美術館の記録によれば、商業・公共事業省がドラクロワ本人から3,000フランで購入しています。ところが、革命をたたえる内容がそのときどきの政治にとって都合が悪く、長いあいだ人目につく場所に出されず、倉庫に収められていた時期が何度もあります。革命の記念碑でありながら、政治に振り回された絵でもあったわけです。

じつは日本とも縁があります。ルーヴル美術館の記録によれば、この絵は1999年に東京の国立西洋美術館へ貸し出され、同年の2月末から3月末にかけて公開されました。ふだんパリを動かない大作なので、当時日本で実物を見られたのは貴重な機会でした。

近年では、2023年10月から2024年4月にかけて大きな修復が行われました。長年ぬり重ねられたニスで黄ばんでいた画面が洗浄され、本来の色みが戻ったと報告されています。修復を終えた絵は2024年5月にルーヴルの展示室へ帰ってきました。いま見られるのは、そうして手入れされたあとの姿です。

どこで見られる?——ルーヴル美術館 ドノン翼

ルーヴル美術館 ドノン翼の外観
ルーヴル美術館 ドノン翼の外観。《民衆を導く自由の女神》はこの建物のなか、ドノン翼のサル700(サル・モリアン)に展示されています。Photo: Zairon, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

本物が見られるのは、パリのルーヴル美術館です。ルーヴル公式のコレクション情報によれば、この絵はドノン翼1階のサル700(サル・モリアン)に展示されています。近くにはドラクロワの《サルダナパールの死》など、同じロマン主義の大作も並びます。ルーヴルは広く、目当ての一枚にたどり着くだけでも大変なので、行く前に見たい作品と部屋番号をメモしておくのがおすすめです。ルーヴルの回り方はルーヴル美術館のガイド記事もあわせてどうぞ。

もっと深く知りたい人へ

『ドラクロワ』(新潮美術文庫)新潮社
手ごろな判型でドラクロワの代表作を色図版で見わたせる一冊です。まず絵をたくさん眺めながら、彼の色づかいや画面の勢いをつかみたい人の入り口にちょうどよいと思います。
※価格・在庫は変動する場合があります。

『ドラクロワの物語画と文学』西嶋亜美 著(三元社)
ドラクロワが文学からどう主題を得て物語を絵にしたのかを掘り下げた研究書です。今回の《民衆を導く自由の女神》のように「絵が物語る」しくみを、もう一歩深く知りたい人向けです。
※価格・在庫は変動する場合があります。

まとめ

《民衆を導く自由の女神》の中央にいるのは、実在の人ではなく「自由」を女性の姿にした擬人像でした。胸をはだけた姿も、フリギア帽も、三色旗も、それぞれに意味を持っています。舞台は1830年の七月革命。さまざまな立場の人が一つになって進む姿を、ドラクロワはロマン主義らしい色と勢いで描き切りました。

記号として見慣れているぶん、実物の大きさ(縦約2.6メートル)や色の生々しさは、写真ではなかなか伝わりません。パリへ行く機会があれば、ぜひルーヴルのドノン翼でこの一枚の前に立ってみてください。きっと、思っていたより「うるさくて、熱い絵」だと感じるはずです。

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