東郷青児の絵は、作者名を隠されても「この人の絵だ」と気づきやすい作品です。長い首、伏せたまなざし、細い指、なめらかな輪郭。現実の女性をそのまま描くのではなく、どこか夢の中にいるような、静かで少し遠い存在として描いています。
この独特の女性像は「青児美人」と呼ばれ、昭和の日本で広く親しまれました。ただ、東郷青児の面白さは「きれいな女性を描いた画家」というだけではありません。
若い頃は未来派やキュビスムを思わせる前衛絵画で注目され、24歳でフランスへ渡り、帰国後は絵画だけでなく装幀、挿絵、舞台美術、包装紙や菓子缶などのデザインへ活動を広げました。この記事では、東郷青児は何がすごかったのかを、画風の変化と代表作、生涯からわかりやすく見ていきます。

東郷青児とは?|「青児美人」で知られる昭和の洋画家
東郷青児(とうごう せいじ、1897–1978)は鹿児島に生まれ、東京を拠点に二科会で活躍した洋画家です。18歳で初個展を開き、翌1916年、19歳で《パラソルさせる女》を第3回二科展へ初出品して二科賞を受賞しました。
ここで意外なのは、若い東郷の出発点が、後年の優美な女性像とはかなり違っていたことです。初期の作品は、未来派やキュビスムを思わせる大胆な構成を持ち、日本美術界でも早い時期の前衛絵画として位置づけられています。
1921年、24歳でフランスへ渡り、7年間滞在。ピカソらと交流しながら西洋絵画を研究し、装飾美術やデザインの仕事にも触れました。1928年の帰国後は二科会を中心に活動し、やがて誰が見ても東郷とわかる女性像を確立していきます。
東郷青児は何がすごい?5つの理由
1.一目で作者がわかる「青児美人」を作った
東郷青児の最大の特徴は、やはり女性像です。細長くデフォルメされた身体、長い首、伏せた目、細い眉とまつ毛、なめらかにつながる輪郭。肌や背景には淡く透明感のある色が使われ、人物は現実の肖像というより「理想化された女性のイメージ」として現れます。
SOMPO美術館は、この独自のスタイルを「東郷様式」あるいは「青児美人」と紹介しています。重要なのは、美人を描いたことそのものではありません。数秒見ただけで作者を判別できるほど、造形を自分の言語にしたことです。
日本の美人表現という大きな流れで見ると、江戸には喜多川歌麿がいて、大正期には竹久夢二が「夢二式美人」を生み出しました。東郷はさらにそこから離れ、油彩によるモダンで幻想的な女性像を昭和の都市文化へ広げていった画家だと考えるとわかりやすいです。
2.「青児美人」の前は、前衛絵画の若手だった
東郷青児を女性像だけで覚えると、画家としての振れ幅を見落としてしまいます。10代の東郷は「未来派風」と評されるほど前衛的でした。1921年に渡欧すると、ミラノで未来派運動にも参加しています。
未来派は20世紀初頭のイタリアで生まれ、都市、機械、速度、運動など、近代社会の新しさを積極的に表現しようとした芸術運動です。下のボッチョーニ作品を見ると、後年の静かな「青児美人」とはまるで別世界に見えるはずです。

つまり東郷は、最初から一つの様式を繰り返した画家ではありません。前衛的な実験を経たうえで、帰国後に幻想性と装飾性を強め、最終的にあの女性像へ到達しました。「大きく変わったのに、最後には誰にも真似できない型を作った」ところに東郷の面白さがあります。
3.7年間のフランス滞在で「西洋」と「装飾」を吸収した
1921年から1928年まで、東郷はフランスに滞在しました。SOMPO美術館によれば、現地ではピカソらと交流し、美術館で歴史的な西洋絵画を研究。さらに壁画や装飾美術の仕事を通して、大衆に届く美術のあり方にも目を向けるようになります。
1925年にはモンマルトルへ移り住み、30歳を前に自分の画風を固めつつありました。前衛一辺倒から離れ、幾何学的な構成と抒情性、モダンさと古典性をどう一つにするかを模索していた時期です。

東郷の女性像にどこか「日本の美人画とも、西洋の肖像画とも違う」感じがあるのは、この経歴を知ると納得しやすくなります。日本の都市文化の中で受け入れられる美しさを描きながら、その骨格には若い頃の前衛美術とパリで吸収した西洋絵画が残っているのです。
4.絵を美術館から日常生活へ広げた
東郷青児は油彩画だけの人ではありません。書籍の装幀、雑誌の表紙、挿絵、室内装飾、舞台装置、企業の印刷物、カレンダー、扇子、風呂敷、洋菓子の包装紙やクッキー缶など、非常に幅広い仕事をしています。
昭和30年代には、和洋菓子店のパッケージや包装紙に東郷の女性像が使われ、多くの人が「美術館へ行く」より先に、街や店、商品を通して東郷の絵を見ていました。
ここは竹久夢二と重なるところがあります。夢二も本や楽譜、日用品へ自分の世界を広げました。ただし、夢二が大正期の情緒や生活感を色濃くまとっているのに対し、東郷はより滑らかで洗練された「昭和モダン」の女性像を企業広告や商品デザインへ浸透させていきました。
今の言葉でいえば、作品そのものだけでなく、「東郷青児らしさ」というビジュアル・ブランドを作ったとも言えます。
5.二科会とSOMPO美術館に大きな足跡を残した
東郷青児は1931年に二科会会員となり、1961年には二科会会長に就任しました。若い前衛画家として登場した人物が、やがて日本の洋画界を支える中心人物の一人になったことも、長い画歴を考えるうえで重要です。
そして東郷を語るうえで欠かせないのが、現在のSOMPO美術館です。東郷は安田火災とその前身会社の時代から印刷物のデザインを手がける関係にあり、1976年には東郷の協力のもとで美術館が開館しました。

東郷の死後、遺族から作品などが寄贈され、現在SOMPO美術館は初期から晩年までの油彩約70点を含む約240点の東郷作品を収蔵しています。同館といえばゴッホの《ひまわり》が有名ですが、そもそものコレクション形成をたどると東郷青児へ行き着きます。
SOMPO美術館とゴッホの関係については、ゴッホ《ひまわり》徹底解説|日本のSOMPO美術館で見られる一枚で詳しく紹介しています。
東郷青児の代表作|画風の変化がわかる作品
東郷青児は80歳まで長く活動したため、代表作を年代順に見ると画風の変化がよくわかります。
| 《コントラバスを弾く》 | 1915年。18歳頃の初期作。前衛的な造形への関心が見える |
| 《パラソルさせる女》 | 1916年。第3回二科展で二科賞を受賞した初期の重要作 |
| 《ピエロ》 | 1926年。パリ滞在中。前衛から独自の画風へ向かう過程が見える |
| 《超現実派の散歩》 | 1929年。帰国後の幻想的な世界を代表する作品。SOMPO美術館のシンボルマークにも使われた |
| 《黒い手袋》 | 1933年。細長い人物像と洗練された構成に、後の「東郷様式」へつながる特徴が見える |
| 《婦人像》 | 1936年。優美な女性像が東郷独自のスタイルとして定着していく時期の作品 |
| 《望郷》 | 1959年。「青児美人」と抒情性を代表する一作。第5回日本国際美術展で大衆賞 |
| 《タッシリ》 | 1974年。晩年の大作。東郷の仕事が女性像だけではないことを示す |
東郷青児の作品画像は現在も著作権保護期間中のため、ARTZUKANでは作品そのものの画像転載はしていません。代表作の画像は、SOMPO美術館公式「東郷青児」コレクションページで確認できます。
竹久夢二と東郷青児は何が違う?
東郷青児を見ていると、同じく女性像で人気を得た竹久夢二を思い浮かべる人もいると思います。二人とも、女性像だけでなく装幀や商業デザインまで手がけ、「一目で作者がわかる世界」を作った点ではよく似ています。
ただ、女性像の印象はかなり違います。夢二の女性には、うつむく姿や着物、日常の仕草などから感情や物語がにじみます。一方、東郷の女性はより現実から離れ、滑らかな輪郭や細長い身体そのものが様式化されています。
ざっくり言えば、夢二は「この女性は何を思っているのだろう」と感じさせ、東郷は「この形そのものが東郷だ」と感じさせる。並べて見ると、日本の近代美術が女性像をどのように変えていったのかが見えてきます。
夢二については、竹久夢二は何がすごい?「大正ロマン」を生んだ5つの理由で、作品とデザインの両面から詳しく解説しています。
東郷青児の生涯を簡単に
| 1897年 | 鹿児島に生まれる |
| 1915年 | 18歳で初個展。未来派風の新人として注目される |
| 1916年 | 《パラソルさせる女》を二科展へ初出品し、二科賞 |
| 1921年 | 24歳でフランスへ。ミラノで未来派運動に参加 |
| 1925年 | モンマルトルへ移り、独自の画風を模索 |
| 1928年 | 7年間の滞欧生活を終えて帰国 |
| 1931年 | 二科会会員 |
| 1957年 | 日本芸術院賞を受賞 |
| 1961年 | 二科会会長 |
| 1969年 | フランス政府から芸術文化勲章 |
| 1976年 | 東郷青児美術館が開設 |
| 1978年 | 熊本で死去。80歳 |
まとめ|東郷青児がすごいのは「美しさを一つの様式にした」こと
東郷青児のすごさは、美しい女性を描いたことだけではありません。10代で前衛絵画に挑み、フランスで7年間学び、帰国後にそれまでの経験を一つのスタイルへ整理し、誰が見ても作者がわかる「青児美人」を生み出しました。
さらに、その世界をキャンヴァスの中だけに閉じ込めず、本や雑誌、包装紙、菓子缶、企業の印刷物へ広げていきました。だから東郷青児の絵は、美術好きだけのものではなく、昭和の街や暮らしの中にまで入り込んでいったのでしょう。
僕は、東郷青児を見るときは完成された「青児美人」だけでなく、ぜひ初期の前衛作品から順にたどってみてほしいと思います。未来派に接近した青年が、なぜあの静かな女性像へたどり着いたのか。そこまで見ると、東郷青児という画家が一気に面白くなります。

