アンリ・マティスとは?代表作10選と「色彩の魔術師」の生涯をわかりやすく解説

当ページのリンクには一部、広告が含まれています。
アンリ・マティス ダンス 1910年 エルミタージュ美術館

鮮やかな赤の部屋、輪になって踊る5人、青い紙を切り抜いた裸婦。アンリ・マティス(1869〜1954年)は、色そのものに主役を任せる絵を描き続けたフランスの画家です。日本では「色彩の魔術師」の呼び名で紹介されることが多く、ピカソと並んで20世紀美術を代表する存在です。

マティスが何をした画家かを一言でいうと、色を「見たままの色」から解放し、色と線だけで画面を組み立てた画家です。1905年には強烈な色づかいで「フォーヴ(野獣)」と呼ばれ、晩年には絵筆の代わりにハサミを持ち、色を塗った紙を切り抜く「切り紙絵」に到達しました。ポンピドゥー・センターは、マティスの言葉として「色彩はとりわけ、おそらく素描以上に、ひとつの解放である」を紹介しています。

一方で、マティスは色の画家であると同時に、線の画家でもありました。2027年3月から国立西洋美術館で開かれる「マティス 黒と白の詩学」は、まさにその版画に焦点を当てる展覧会です。この記事では、代表作10点を制作年の順にたどりながら、素描・版画・切り紙絵まで含めたマティスの全体像と、日本で作品を見る方法を整理しました。

2027年に東京でマティス展
国立西洋美術館(東京・上野)で「マティス 黒と白の詩学」が2027年3月20日(土)〜7月19日(月・祝)に開かれます。会期・料金・同時期のアーティゾン美術館の展示は記事後半の展覧会情報にまとめました。

目次

マティスとは?30秒でわかる基本情報

アンリ・マティスの肖像写真(1933年、カール・ヴァン・ヴェクテン撮影)
アンリ・マティス/1933年5月20日撮影/撮影:カール・ヴァン・ヴェクテン(米国議会図書館所蔵)/Public domain, via Wikimedia Commons
  • 名前:アンリ・マティス(Henri Matisse)
  • 生没年:1869年12月31日〜1954年(84歳)
  • 出身:フランス北部のル・カトー=カンブレジ。穀物商の家に生まれる
  • 分野:油彩、素描、版画、彫刻、切り紙絵、ステンドグラスなどの装飾
  • 呼び名:フォーヴィスム(野獣派)の中心人物。日本では「色彩の魔術師」
  • 代表作:《生きる喜び》《ダンス》《赤いアトリエ》《ピアノのレッスン》、切り紙絵の《ジャズ》《ブルー・ヌード》など
  • 主な所蔵館:ポンピドゥー・センター(パリ)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、エルミタージュ美術館、バーンズ財団、ニースのマティス美術館。日本ではアーティゾン美術館、ポーラ美術館、国立西洋美術館など

はじめは法律を学び、北フランスのサン=カンタンで法律事務所の書記として働いていました。療養中に絵を描き始め、1891年にパリへ出て画家を目指します(ポンピドゥー・センターによる)。国立美術学校ではギュスターヴ・モローの教室に入り、のちに親友となるマルケや、ルオーと出会いました(コトバンク『世界大百科事典』による)。

マティスは何がすごい?3つのポイント

1. 色を「現実の色」から解放した

1905年のサロン・ドートンヌに出品された《帽子の女》では、妻アメリーの顔に緑の筋が走り、背景も帽子も現実ではありえない色で塗られています。サンフランシスコ近代美術館によると、仲間やサロンの会長からも出品を止められたほどで、批評家ルイ・ヴォークセルはマティスたちを「フォーヴ(野獣)」と呼びました。この呼び名が、そのまま運動の名前「フォーヴィスム」になります。

色を、ものの説明ではなく、画面の感情やリズムをつくる道具として使う。この考え方が、マティスの出発点であり、生涯変わらなかった軸です。

2. 「見る人をくつろがせる絵」を目指した

激しい色づかいとは裏腹に、マティスが目指したのは穏やかな絵でした。1908年の文章でマティスは、自分の理想の芸術を、疲れた人を休ませる「良い肘掛け椅子のようなもの」にたとえています(ポンピドゥー・センターによる)。前衛の旗手でありながら、見る人を驚かせることより、落ち着かせることを大切にした画家でした。

3. 晩年に「ハサミで描く」方法を発明した

1941年、71歳のマティスは大きな手術を受けます。その後、本格的に取り組んだのが、グワッシュ(不透明水彩)で塗った紙を切り抜き、貼り合わせる切り紙絵です。ポンピドゥー・センターは、手術後のマティスが油彩に使う溶剤を扱えなくなったことを、この方法に移った理由として挙げています。マティスは1947年に「色の中にじかに切り込むことは、彫刻家の直彫りを思い出させる」と書いています。コトバンク掲載の事典も、晩年の切り紙絵を「色彩でデッサンする」ものと説明しています。色を塗ることと線を引くことを、ハサミのひと切りで同時に行う。これが、マティスが最後にたどり着いた答えでした。

マティスの代表作10選【制作年順】

画風の変化がわかるよう、制作年の順に並べました。作品画像はクリックで拡大できます。

1.《豪奢、静寂、逸楽》1904年

アンリ・マティス 豪奢、静寂、逸楽 1904年
アンリ・マティス《豪奢、静寂、逸楽》|1904年秋〜冬|98.5×118.5cm|ポンピドゥー・センター(国立近代美術館)蔵、オルセー美術館に寄託|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

海辺で裸の女性たちがくつろぐ、理想郷の風景です。1904年、点描の画家シニャックと出会ったマティスが、その技法を取り入れて描きました。

ただしポンピドゥー・センターによれば、マティス自身はこの作品に満足せず、ここから細かな点ではなく色の面で塗る方向へ進みます。それがフォーヴィスムの始まりでした。この絵はポンピドゥー・センターの所蔵で、1985年からオルセー美術館に寄託されています(2026年10月時点ではオランダのH’ARTミュージアムに貸し出し中)。

2.《帽子の女》1905年

アンリ・マティス 帽子の女 1905年
アンリ・マティス《帽子の女》|1905年|80.8×59.7cm|サンフランシスコ近代美術館|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

フォーヴィスムの名前が生まれるきっかけになった1点です。モデルはマティスの妻アメリー。サンフランシスコ近代美術館は、マティスが大きな風景画の仕上げに行き詰まったあと、急いで描いた作品だと伝えています。

実際の服は何色だったのかと聞かれたマティスは「もちろん黒だよ」と答えたという逸話も、同館が紹介しています。目に見えた色ではなく、画面に必要な色を置く。同じ年には、妻の顔の中央に緑の筋を引いた《緑の筋のあるマティス夫人の肖像》(コペンハーゲン国立美術館)も描かれました。

3.《生きる喜び》1905〜06年

アンリ・マティス 生きる喜び 1905〜06年
アンリ・マティス《生きる喜び》|1905年10月〜1906年3月|176.5×240.7cm|バーンズ財団(フィラデルフィア)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

木々に囲まれた野原で、人々が寝そべり、笛を吹き、奥では輪になって踊っています。幅2.4メートルを超える大作で、1906年にパリで発表されると観客に衝撃を与えました。所蔵するバーンズ財団は、問題は主題ではなく、大胆な色、人物の大きさの急な変化、ゆがんだ体の描き方にあったと説明しています。

この絵はかつて、作家ガートルード・スタインと兄レオのコレクションに掛けられていました。同財団は、スタインが「マティスは《生きる喜び》を描き、この時代のすべての画家に跡を残す新しい色彩の方式をつくった」と書き残したことも紹介しています。画面奥の輪舞は、のちの《ダンス》の原型です。

4.《赤のハーモニー(赤い部屋)》1908年

アンリ・マティス 赤のハーモニー(赤い部屋) 1908年
アンリ・マティス《赤のハーモニー(赤い部屋)》|1908年|180.5×221cm|エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

食卓を整える女性と、壁とテーブルクロスに広がる青い唐草模様。壁と机の区別がつかないほど同じ赤と同じ模様で覆われ、奥行きのある部屋が一枚の装飾的な平面に変わっています。左上の窓の外の景色まで、絵の中の絵のように見えます。

現在はロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が所蔵しています。

5.《ダンス》1910年

アンリ・マティス ダンス 1910年 エルミタージュ美術館
アンリ・マティス《ダンス》|1910年|260×391cm|エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

青い空と緑の丘を背景に、赤い肌の5人が手をつないで踊ります。1909年、ロシアの収集家セルゲイ・シチューキンが、マティスに《ダンス》と《音楽》を注文しました(ポンピドゥー・センターによる)。

使われている色は、ほぼ赤・青・緑の3色だけです。人物の輪郭は太く単純で、左手前の人物と隣の人物の手は、今にも離れそうなところで描かれています。その一瞬の緊張が、輪全体に回転する勢いを与えています。前年の1909年に描かれた、より淡い色の《ダンス(I)》は、ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。

6.《赤いアトリエ》1911年

アンリ・マティス 赤いアトリエ 1911年
アンリ・マティス《赤いアトリエ》|1911年秋|181×219.1cm|ニューヨーク近代美術館(MoMA)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

パリ郊外イシー=レ=ムリノーにあったアトリエを、ほぼ全面の赤で塗り込めた作品です。家具や壁の境目は、赤の中の細い塗り残しでしか示されていません。ニューヨーク近代美術館によると、画面には自作の絵画6点、彫刻3点、陶器1点が描き込まれ、小さな回顧展のようになっています。中央の大時計には針がありません。

同館は、この絵が注文主に受け取りを断られ、発表当初は戸惑いや無関心で迎えられたものの、今では近代美術の基礎となる作品とみなされていると説明しています。マティスは赤の由来について「どこからあの赤を持ってきたのか、自分でもわからない」と語りました。

7.《ピアノのレッスン》1916年

アンリ・マティス ピアノのレッスン 1916年
アンリ・マティス《ピアノのレッスン》|1916年晩夏|245.1×212.7cm|ニューヨーク近代美術館(MoMA)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

窓辺でピアノを弾く少年は、マティスの息子ピエールです(スマートヒストリーによる)。灰色と緑の大きな面で画面が分割され、少年の背後には、教師のように見える高い椅子の女性が描かれています。これは実在の人物ではなく、マティス自身の絵画《高い椅子に座る女》が壁に掛かっている姿です。

フォーヴィスムの時期の鮮やかな色から一転して、大きな色の面を直線で区切った、幾何学的な構成が目立ちます。ピエールはのちにニューヨークで画商として成功しました。2027年の国立西洋美術館の展覧会に特別協力する「ピエール&タナ・マティス財団」は、このピエールと妻タナの名を冠した財団です。

8.《赤いキュロットのオダリスク》1921年

アンリ・マティス 赤いキュロットのオダリスク 1921年
アンリ・マティス《赤いキュロットのオダリスク》|1921年秋|65.3×92.3cm|ポンピドゥー・センター(国立近代美術館)|油彩・カンヴァス|Public domain, via Wikimedia Commons

1917〜18年ごろから、マティスは南仏ニースを拠点にします。1920年代の主題の中心は、室内でくつろぐ女性像でした。オダリスク(ハーレムの女性)に扮したモデルが、模様の多い布やクッションに囲まれて横たわります。

モデルは、ニース時代のマティスが繰り返し描いたアンリエット・ダリカレールです。フランス政府が1922年に買い上げた作品で、現在はポンピドゥー・センターが所蔵しています。

9.《ジャズ》1947年

アンリ・マティス『ジャズ』より イカロス 1947年
アンリ・マティス『ジャズ』より〈イカロス〉|1947年刊|図版40.5×26.7cm(ポンピドゥー・センター所蔵の刷りの記録)|写真はバイエルン州立図書館所蔵本の展示風景|ステンシル(ポショワール)、紙|Photo: Burkhard Mücke, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

20点の切り紙絵の図案を、ステンシル(型紙)の技法で刷った本です(ポンピドゥー・センターによる)。道化師やイカロスなどを題材にした図版の中でも、黒い人物が青い空に落ちていく〈イカロス〉はよく知られています。人物の胸には小さな赤い点がひとつだけ置かれています。

図版の合間には、マティスの手書きの文字による文章のページがはさまれています。切り紙絵という新しい方法を、本という形で世に示した作品で、日本でもポーラ美術館などが所蔵しています。

10.《ブルー・ヌードIV》1952年

アンリ・マティス ブルー・ヌードIV 1952年 切り紙絵
アンリ・マティス《ブルー・ヌードIV》|1952年春|103×74cm|マティス美術館(ニース)、オルセー美術館より寄託|グワッシュで彩色した紙の切り貼り、木炭、カンヴァスに貼付|Photo: Yair Haklai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

青い紙を切り抜いて組み合わせた、うずくまる裸婦です。1952年、マティスは高さ1メートルを超える「ブルー・ヌード」を4点制作しました。ポンピドゥー・センターによると、番号はIからIVですが制作順ではなく、マティスはIVから描き始めてIVで終えています。

4点の中で、背景に木炭の跡が残るのはIVだけです。切り抜いた形を何度も動かし、構図が決まるまで試した跡がそのまま見えます。ハサミのひと切りで仕上げたように見える作品にも、長い試行錯誤が隠れています。IVはニースのマティス美術館にあります。

マティスは「線」の画家でもあった:素描と版画

色彩のイメージが強いマティスですが、修業期から晩年まで、素描と版画を描き続けました。エッチング、ドライポイント、リトグラフ、木版、リノカットと、版画の技法も幅広く試しています。

アンリ・マティス 座る裸婦 1906年 木版画
アンリ・マティス《座る裸婦》|1906年|版面34.2×26.6cm(紙46.0×28.9cm)|コペンハーゲン国立美術館(SMK)|木版、薄手のヴェラム紙|Public domain (CC PDM 1.0), via SMK Open

1906年の木版画《座る裸婦》は、フォーヴィスムの時期に制作されました。太い輪郭線と、背景を埋める短い刻み跡だけで人物を彫り出しています。白と黒しかない画面でも、色彩画と同じように、形を単純化し装飾的なリズムをつくろうとしているのがわかります。

アンリ・マティス 版画を彫るアンリ・マティス ドライポイント 1900〜03年頃
アンリ・マティス《版画を彫るアンリ・マティス》(第4ステート)|1900〜03年頃|サイズ未確認|フランス国立図書館(画像の刷り)|ドライポイント|Public domain, via Wikimedia Commons

《版画を彫るアンリ・マティス》は、1900〜03年ごろ、銅版に針で直接線を刻むドライポイントで制作された自画像です。銅版に向かう自分の姿を描いています。国立西洋美術館もこの作品の刷りを1点所蔵しています(文化遺産オンライン/アートプラットフォームジャパンの所蔵情報による)。

晩年のヴァンスのロザリオ礼拝堂でも、マティスは白いタイルに黒い線だけで聖ドミニクや聖母子を描いています。色を極めた画家が、最後まで黒と白の線を手放さなかったことは、2027年の「黒と白の詩学」展を見るうえでの大きな手がかりになります。

画風はどう変わった?4つの時期

修業期〜点描(1890年代〜1904年)

モローの教室で学ぶ一方、1899年には貧しい中でセザンヌの小品《三人の水浴の女たち》を手に入れ、心の支えにしました。1904年にはシニャックの点描を試し、《豪奢、静寂、逸楽》を描きます。

フォーヴィスム〜装飾的な大作(1905〜1917年)

1905年の《帽子の女》で注目を集め、《生きる喜び》《ダンス》《赤いアトリエ》と、色の面で画面を構成する大作を次々に生み出しました。1910年代半ばには《ピアノのレッスン》のように、灰色や黒を多く使った直線的な構成の作品も描いています。

ニース時代(1917年ごろ〜1930年代)

南仏ニースに移り、室内の女性像、窓辺の風景、オダリスクを繰り返し描きました。1930年にはタヒチへ長い旅をし、同年からアメリカのバーンズ財団の壁画《ダンス》に取り組みます。バーンズ財団によると、マティスは木炭、切り紙、絵具の順に構図を練り、各段階を写真に記録しました。この切り紙の使い方が、晩年の方法につながります。

切り紙絵の時代(1941〜1954年)

1941年の手術後、切り紙絵が制作の中心になります。《ジャズ》(1947年)、ヴァンスのロザリオ礼拝堂(1948〜51年)、「ブルー・ヌード」の連作(1952年)、テート美術館の《かたつむり》(1953年)まで、大画面の作品を生み出し続けました。

マティスの生涯(年表)

  • 1869年:12月31日、フランス北部ル・カトー=カンブレジに生まれる
  • 青年期:法律を学び、サン=カンタンの法律事務所で書記として働く。療養中に絵を描き始める
  • 1891年:パリに出て、ブーグロー、続いてモローに学ぶ
  • 1899年:セザンヌの《三人の水浴の女たち》を購入
  • 1904年:シニャックと出会い、《豪奢、静寂、逸楽》を描く
  • 1905年:サロン・ドートンヌに《帽子の女》を出品。「フォーヴ」と呼ばれる
  • 1906年:《生きる喜び》を発表
  • 1908年:「良い肘掛け椅子のような」芸術という理想を書く
  • 1909年:シチューキンから《ダンス》《音楽》の注文を受ける
  • 1911年:《赤いアトリエ》を描く
  • 1912〜13年:2度モロッコに滞在
  • 1917〜18年:ニースに拠点を移す
  • 1930年:タヒチへ旅行。バーンズ財団の壁画を依頼される(〜1933年)
  • 1941年:大きな手術を受け、のちに切り紙絵を本格化
  • 1947年:《ジャズ》を刊行
  • 1951年:6月25日、ヴァンスのロザリオ礼拝堂が献堂される(マティスは病のため欠席)
  • 1952年:「ブルー・ヌード」連作を制作
  • 1954年:ニースで死去(84歳)

影響を受けた画家・関係の深い画家

ポール・セザンヌ:「私たちみんなの父」

マティスは無名で貧しかった1899年に、セザンヌの小品《三人の水浴の女たち》を手に入れ、苦しい時期の支えにしました。「セザンヌは私たちみんなの父だ」という有名な言葉は、マティスとピカソの両方の言葉として伝わっています。色と形で画面を組み立てるセザンヌの方法は、マティスの構成力の土台になりました。詳しくはセザンヌとは?の記事で解説しています。

ポール・シニャック:点描から色の面へ

1904年、マティスは新印象派の画家シニャックと出会い、その点描を取り入れて《豪奢、静寂、逸楽》を描きました(ポンピドゥー・センターによる)。この経験を通して、細かい点ではなく大きな色の面で描く方向が見えてきます。印象派から新印象派への流れは印象派とは?の記事にまとめています。

パブロ・ピカソ:20世紀美術の両輪

色彩のマティスと形態のピカソは、20世紀前半の美術を代表する2人として並べて語られます。ニューヨーク近代美術館も2002年に「マティス・ピカソ」と題した展覧会の図録を刊行しています。ピカソが1907年に描いた《アヴィニョンの娘たち》やピカソの代表作と見比べると、2人の違いがよくわかります。

同じ時代のパリでは、モディリアーニのように、単純化した線と形で人物を描いた画家たちも活躍していました。マティスが1930年に旅したタヒチは、ゴーギャンが暮らし、描いた島でもあります。

マティスの作品は日本で見られる?

日本の美術館もマティスの作品を所蔵しています。ただし、常に展示されているとは限りません。訪問前に各館の公式サイトで展示状況を確認してください。

  • アーティゾン美術館(東京・京橋):《踊り子とロカイユの肘かけ椅子、黒の背景》1942年。収蔵を機に、2024〜25年に特集展示「マティスのアトリエ」が開かれました
  • ポーラ美術館(神奈川・箱根):《リュート》1943年(油彩・カンヴァス、60.0×81.5cm)、《襟巻の女》1936年、《ジャズ》など
  • 国立西洋美術館(東京・上野):ドライポイント《版画を彫るアンリ・マティス》1900〜03年(所蔵番号G.2003-0121)ほか

2027年のマティス展:国立西洋美術館「マティス 黒と白の詩学」

国立西洋美術館の外観(東京・上野)
国立西洋美術館/東京都台東区上野公園/2023年5月撮影/Photo: Dick Thomas Johnson, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

2027年3月20日から、東京・上野の国立西洋美術館で企画展「マティス 黒と白の詩学—ピエール&タナ・マティス財団の版画コレクションを中心に」が開かれます。タイトルの通り、色彩ではなく、マティスの版画と「黒と白」の表現に光を当てる展覧会です。

  • 会期:2027年3月20日(土)〜7月19日(月・祝)
  • 会場:国立西洋美術館 企画展示室(東京都台東区上野公園7-7)
  • 開館時間:9:30〜17:30(金・土曜日は20:00まで)。入館は閉館の30分前まで
  • 休館日:月曜日、3月23日(火)、5月6日(木)。ただし3月22日(月・休)、3月29日(月)、5月3日(月・祝)、7月19日(月・祝)は開館
  • 観覧料:一般2,300円、大学生1,300円、高校生1,000円
  • 主催:国立西洋美術館、読売新聞社/特別協力:ピエール&タナ・マティス財団

2026年10月25日時点で、公式サイトに出品点数や出品作の詳細はまだ掲載されていません。チケット発売日や出品作が発表されしだい、この記事でも追記します。最新情報は国立西洋美術館の展覧会ページで確認してください。

同時期のアーティゾン美術館「ARTIZON NOW」

会期が重なる2027年2月23日(火)〜5月30日(日)には、東京・京橋のアーティゾン美術館で「ARTIZON NOW ひろがる、つながる、コレクション」が開かれます。新収蔵作品を中心に館のコレクションを紹介する展覧会で、展覧会ページの作品紹介にはマティスの《踊り子とロカイユの肘かけ椅子、黒の背景》(1942年)が掲載されています。

  • 会期:2027年2月23日(火)〜5月30日(日)
  • 会場:アーティゾン美術館 6・5・4階展示室(東京都中央区京橋1-7-2)
  • 開館時間:10:00〜18:00(金曜日は20:00まで)。入館は閉館の30分前まで
  • 休館日:月曜日(3月22日、5月3日は開館)、3月23日、5月6日
  • 入館料:一般 ウェブ予約1,200円/窓口1,500円。大学生・専門学校生・高校生は無料(要ウェブ予約)、中学生以下は無料

上野で版画を中心としたマティスの「黒と白」を見て、京橋で晩年の油彩の色を見る。2つの館を回れば、マティスの線と色の両方を同じ春に確かめられます。アーティゾン美術館の雰囲気はエットレ・ソットサス展の鑑賞レポートでも紹介しています。最新情報はアーティゾン美術館の展覧会ページで確認してください。

海外でマティスを見るなら

ヴァンスのロザリオ礼拝堂の外観
ロザリオ礼拝堂/フランス・ヴァンス/2010年2月撮影/Photo: m-louis .® from Osaka, Japan, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

まとまった数を見られるのは、晩年を過ごしたニースのマティス美術館です。約600点のマティス作品を所蔵し、《ブルー・ヌードIV》もここにあります。近郊のヴァンスでは、マティスがステンドグラス、陶板画、祭壇まわりを手がけたロザリオ礼拝堂を訪ねられます(フランス文化省による)。

パリのポンピドゥー・センターは《赤いキュロットのオダリスク》《ジャズ》などを所蔵していますが、改修工事に伴い、所蔵作品の多くが国内外の美術館へ貸し出されています(《豪奢、静寂、逸楽》も2026年10月時点でオランダに貸出中)。ニューヨーク近代美術館の《赤いアトリエ》《ピアノのレッスン》、フィラデルフィアのバーンズ財団の《生きる喜び》、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の《ダンス》も代表的です。パリの美術館についてはオルセー美術館ガイドもあわせてどうぞ。

よくある質問

マティスはなぜ「色彩の魔術師」と呼ばれるのですか?

現実の色にとらわれず、赤・青・緑などの強い色を大胆に組み合わせて、画面全体の調和をつくったからです。《赤いアトリエ》のように部屋をほぼ1色で塗り込める大胆さと、それでも落ち着いて見える調和の両方が、この呼び名につながっています。

マティスの切り絵(切り紙絵)の代表作は?

本の形にまとめた《ジャズ》(1947年)、4点の「ブルー・ヌード」(1952年)、テート美術館の《かたつむり》(1953年)がよく知られています。グワッシュで塗った紙を切り抜いて貼る方法で、晩年の代表的な技法です。

2027年のマティス展はどこで開かれますか?

東京・上野の国立西洋美術館で、2027年3月20日〜7月19日に「マティス 黒と白の詩学」が開かれます。版画を中心とした展覧会です。

関連記事

まとめ

マティスは、フォーヴィスムで色を現実から解放し、《ダンス》や《赤いアトリエ》で色の面だけの大画面をつくり、晩年にはハサミで色を切り抜く方法にたどり着いた画家です。その一方で、木版画やドライポイント、白いタイルに描いた黒い線まで、線の表現も最後まで探り続けました。

2027年の春は、上野の国立西洋美術館で「黒と白」のマティスを、京橋のアーティゾン美術館で晩年の色のマティスを見られます。色彩の魔術師が線で何を考えていたのか、実物で確かめられる機会です。

目次