「世界でいちばん有名な集団肖像画は?」と聞かれたら、僕は迷わずレンブラントの《夜警》と答えます。縦約3.8メートル、横約4.5メートルの巨大な画面に、今まさに動き出そうとする市民隊。オランダ絵画の黄金時代を象徴する一枚です。
ただ、この絵には有名な「誤解」がいくつもあります。「夜警」なのに、描かれているのは夜ではない。現在の姿は完成時のままではなく、一部が切り取られている。しかも今この瞬間も、ガラス張りの部屋で公開修復の真っ最中。今回はそんな《夜警》の見どころを、僕の視点でじっくり解説します。
《夜警》1642年とは?レンブラント絶頂期の大作

作品データ:《夜警》(正式名称《フランス・バニング・コック隊長の市民隊》)/1642年/油彩・カンヴァス/379.5×453.5cm/アムステルダム国立美術館蔵(アムステルダム市より寄託)
《夜警》は、アムステルダムの火縄銃手組合の集会所「クローフェニールスドゥレン」の大広間を飾るために描かれた集団肖像画です。依頼したのは、フランス・バニング・コック隊長が率いる市民隊のメンバーたち。市民隊というのは、当時のオランダの都市で防衛を担っていた市民のボランティア組織で、隊員であることは社会的なステータスでもありました。
大広間にはほかの画家が描いた市民隊の肖像画とあわせて計7点が並び、《夜警》はそのアンサンブルの一枚でした。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの記録によると、レンブラントはこの絵で1,600ギルダーという大金を受け取っています。隊員たちが平均100ギルダーずつ出し合った、いわば「割り勘」の注文で、画面での目立ち方によって支払額に差があったそうです。
描いたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は、このとき30代半ば。肖像画家として絶頂期にあり、光と影を操る技術は頂点に達していました。
「夜警」なのに夜じゃない?名前にまつわる誤解
まず、いちばん有名な誤解から。この絵に描かれているのは、実は夜ではなく昼の場面です。
絵の表面には「ニス」という透明な保護膜(樹脂を溶かした塗料)が塗られていますが、これが年月とともに黒ずみ、画面全体がまるで夜のように暗く見えた時期がありました。そこから「夜警(The Night Watch)」という通称が定着してしまった、といわれています。実際に描かれているのは、昼の光の中で出動しようとする市民隊の姿です。
見どころ①「集合写真」を「映画のワンシーン」に変えた
当時の集団肖像画は、お金を出した全員の顔がきちんと見えるように、整列した姿を描くのが普通でした。いわば集合写真です。ところがレンブラントは、まったく違うアプローチを取りました。
アムステルダム国立美術館の解説によると、レンブラントは「集団肖像画の人物たちが実際に何かをしている姿を描いた最初の画家」でした。黒い衣装の隊長が、隣の副官に行進開始を指示する。隊員たちは慌ただしく隊列を組み始める。銃に弾を込める者、旗を掲げる者、太鼓を叩く者。《夜警》が描いているのは、その一瞬のざわめきです。
そして光。レンブラントはキアロスクーロ(明暗の強いコントラストで劇的な効果を生む技法)を駆使して、隊長の手や少女など、見せたい部分にだけスポットライトのような光を当てています。この演出があるから、本当に隊列が動き出しそうに見えます。
見どころ② 光り輝く謎の少女
画面の左寄りでは、金色に輝く衣装の少女に目が行くはずです。腰には逆さ吊りの鶏。美術館の公式解説では、彼女は市民隊の「マスコット」だと説明されています。鶏の爪は火縄銃手組合のシンボルと解釈されており、実在の隊員というより、隊の象徴として描き込まれた存在と考えられています。
薄暗い群衆の中で、そこだけ発光しているような少女。僕はこの少女を見るたびに、レンブラントの「観る人を絵の中へ引き込む力」に感心してしまいます。
実は切り取られている──1715年に何が起きたか
《夜警》には驚きの過去があります。現在僕たちが見ている姿は、完成時の絵そのものではありません。
完成から70年あまり後の1715年、《夜警》はアムステルダム市庁舎(現在のダム広場の王宮)へ移されました。ところが飾る場所に対して絵が大きすぎたため、なんと四辺が切り落とされてしまったのです。アムステルダム国立美術館の発表によると、切られた幅は左64.4cm、上23.3cm、下11.3cm、右7cm。左端に描かれていた2人の隊員と子どもは、このとき画面から消えました。切り取られた断片は、今も見つかっていません。

作品データ:《フランス・バニング・コック隊長の市民隊(夜警)の模写》(ヘリット・ルンデンスの作とされる)/1642〜1655年ごろ/油彩・板/66.8×85.4cm/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
元の構図が分かるのは、この小さな模写が残っているおかげです。隊長バニング・コック自身が注文したと考えられており、ナショナル・ギャラリーの公式ページによると、2026年から2028年まではアムステルダム国立美術館に長期貸与中。つまり今なら、本物と模写を同じ美術館で見られる可能性があるわけです。
そして2021年、この模写をもとにAI(人工知能)が失われた部分をレンブラントのタッチで再現し、本体の周囲に取り付けた「復元版」が期間限定で公開されました。約300年ぶりに元の構図がよみがえった展示は、世界的なニュースになりました。
いまも進行中──ガラス張りの公開修復「オペレーション・ナイトウォッチ」

2019年夏、アムステルダム国立美術館は《夜警》史上最大の調査・修復プロジェクト「オペレーション・ナイトウォッチ」を開始しました。面白いのは、作業のすべてが特製のガラス張りの部屋の中で、来館者の目の前で行われていること。5年におよぶ科学調査を経て、現在は古いニスを顕微鏡レベルの精度で取り除く修復作業が進められています。
つまり今アムステルダムへ行けば、「修復中の《夜警》」という、ある意味もっともレアな姿が見られるということ。僕は、美術館が研究の裏側までオープンにするこの姿勢が大好きです。
ちなみに《夜警》は過去に刃物で傷つけられる被害にも遭っていて、1975〜76年には大規模な修復が行われています。何度も危機を乗り越えて、今も僕たちの前に立ち続けている絵なのです。
《夜警》はどこで見られる?

《夜警》は、アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)の「ナイトウォッチ・ギャラリー」で見られます。公式コレクションページでは超高解像度画像を無料で見られますが、あの大きさの迫力だけは、実物の前に立たないと絶対に分かりません。
開館時間は毎日9時〜17時、所在地はMuseumstraat 1, Amsterdamです(訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください)。フェルメールの《牛乳を注ぐ女》も同じ美術館の所蔵なので、オランダ絵画の黄金時代を一日で堪能できます。フェルメールについてはフェルメール代表作4選で詳しく解説しています。
また、アムステルダムにはゴッホ美術館もあります。あわせて巡りたい人はゴッホ代表作12選もどうぞ。
もっと深く知りたい人へ|おすすめの本
《夜警》とレンブラントをさらに深掘りしたい人には、この2冊がおすすめです。
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まとめ|誤解の数だけ面白い絵
夜じゃないのに「夜警」と呼ばれ、大きすぎて切られ、傷つけられ、AIで復元され、いまはガラスの中で修復されている。350年以上たってもこれほど話題を生み続ける絵は、そうありません。
アムステルダムへ行く機会があれば、ぜひナイトウォッチ・ギャラリーで足を止めてみてください。修復中の姿もまた、この絵の歴史の1ページです。

