名古屋城本丸御殿の見どころ|狩野探幽の障壁画を部屋ごとに解説

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名古屋城本丸御殿の外観

名古屋城の本丸御殿は、天守の南に建つ尾張藩の御殿です。1945年の空襲で焼失し、2018年に木造で復元されました。中に入ると、襖や壁、天井までが金地や墨の絵で埋め尽くされています。描いたのは、江戸幕府の御用絵師として画壇の中心にいた狩野派(かのうは)の絵師たちです。

見どころは豪華さそのものより、部屋の役割に合わせて、描かれる絵が変わっていくところにあります。来訪者が待つ玄関には虎と豹、藩主が公式に人と会う表書院には海の向こうから来た珍しい動物、身内と過ごす対面所には穏やかな名所の風景、そして将軍を迎えるために増築された上洛殿には、33歳の狩野探幽(たんゆう)が描いた中国皇帝の物語。順路どおりに歩くと、この変化をそのままたどれます。

この記事では、玄関から上洛殿まで部屋ごとに障壁画の見どころを整理し、江戸時代の原画(重要文化財)が見られる場所、2026年10月に改定された観覧料までまとめます。

先に結論
・見どころは、玄関→表書院→対面所→上洛殿と進むにつれて変わる障壁画の画題
・クライマックスは、狩野探幽が描いた上洛殿の《帝鑑図》《雪中梅竹鳥図》
・御殿の中の障壁画は復元模写。江戸時代の原画は西の丸御蔵城宝館で展示替えしながら公開。時期によって障壁画が展示されない場合もある
・本丸御殿と城宝館は、名古屋城の観覧料(大人1,000円)だけで入れる
・天守閣は閉館中で、内部には入れない
目次

名古屋城本丸御殿とは|家康が建て、将軍を迎えた御殿

名古屋城本丸御殿の外観
本丸御殿の屋根越しに天守を望む(名古屋城本丸御殿)。写真提供:名古屋城総合事務所

本丸御殿は、徳川家康の命で1615年(慶長20)に完成しました。尾張藩主の住まいであり、藩の政庁でもあった建物です。初代藩主・徳川義直は1620年(元和6)に二之丸御殿へ移り、その後の本丸御殿は、将軍が名古屋に来たときに泊まる宿館として使われました。

1930年(昭和5)には、天守とともに旧国宝に指定されました。しかし1945年(昭和20)の空襲で焼失しました。

復元を可能にしたのは、焼失前に残されていた記録です。名古屋城の公式サイトによると、309枚の昭和実測図、約700枚の古写真、そして戦火を免れた1,049面の障壁画が大切に保管されてきました。これらをもとに2009年に復元工事が始まり、2013年に玄関・表書院、2016年に対面所などが公開され、2018年6月8日に上洛殿を含む全体の公開を迎えています。

なお、天守閣は2018年5月から閉館していて、内部には入れません。いま名古屋城で江戸時代の御殿の室内空間を体験できるのが、この本丸御殿です。

障壁画とは?本丸御殿で何を見るのか

障壁画(しょうへきが)とは、襖や壁、杉戸、天井などに描かれた絵のことです。日本の御殿や寺院では、部屋そのものを絵で包むように室内を飾りました。

本丸御殿の障壁画を描いたのは狩野派です。狩野派は室町時代から続く絵師の一派で、江戸時代には幕府の御用絵師として、城や御殿、寺院の障壁画を数多く手がけました。

取り外しのできた襖絵や天井板絵などは空襲の前に運び出されていたため、建物が焼けたあとも残りました。障壁画と天井板絵をあわせて1,049面が現存し、そのうち1,047面が国の重要文化財です。一方、壁に貼り付けられていた絵は、建物とともに失われています。

いま御殿の中で見られる障壁画は、原画や古写真をもとに、創建時の色彩を再現して描き直した「復元模写」です。名古屋市によると、900面以上の襖絵や天井絵が復元されています。江戸時代の原画は、後で紹介する西の丸御蔵城宝館で保存・公開されています。

障壁画の主題は、山水、人物、花鳥、走獣(動物)の大きく4つに分かれます。名古屋市の展示解説によると、どの主題を描くかは部屋の格に応じて決められました。部屋が誰に、何のために使われたのかを知ってから絵を見ると、なぜその絵がそこにあるのかが見えてきます。

部屋ごとの役割と障壁画|早見表

部屋使われ方主な障壁画見るポイント
玄関来訪者が通され、対面を待つ《竹林豹虎図》金地に虎と豹。御殿で最初に目に入る絵
表書院藩主が正式に人と会う公式の場麝香猫・吐綬鶏など舶来の動物創建時に御殿で最も格式の高かった間
対面所藩主が身内や家臣と私的に会う京都・和歌山の名所を描いた風俗図穏やかな筆致と、豪華な格天井
上洛殿将軍を迎えるために増築狩野探幽《帝鑑図》《雪中梅竹鳥図》など欄間・天井・金具まで最上級の装飾

玄関|虎と豹が来訪者を迎える《竹林豹虎図》

名古屋城本丸御殿 玄関一之間(竹林豹虎図の復元模写)
玄関 一之間(名古屋城本丸御殿)。金地に虎と豹を描いた《竹林豹虎図》の復元模写。写真提供:名古屋城総合事務所

本丸御殿に入ってまず通されるのが玄関です。訪れた人が藩主との対面を待つ場所で、古くは遠侍(とおざむらい)と呼ばれました。

襖や壁には、金地に虎と豹を描いた《竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)》が広がり、この部屋は「虎之間」とも呼ばれていました。竹林を背にした虎と豹は、待っている来訪者の目に真っ先に入る絵です。この御殿の主がどれほどの力を持つのかを示す画題として、入口の部屋にふさわしいものが選ばれています。

近づいて虎の毛並みを見る前に、まず入口から部屋全体を見渡すと、襖から壁へと絵がつながり、部屋全体が一つの画面として設計されていることがわかります。

表書院|藩主の公式の場を飾る、舶来の珍しい動物

名古屋城本丸御殿 表書院三之間
表書院 三之間(名古屋城本丸御殿)。障壁画は創建時の色彩を再現した復元模写。写真提供:名古屋城総合事務所

玄関の奥にある表書院は、1615年の創建時に御殿で最も大きく、最も格式の高い部屋でした。江戸時代には「広間」と呼ばれ、藩主が正式に謁見するときに使われました。上段之間は藩主・徳川義直が座る部屋で、正式な座敷飾りがそろっています。

表書院の障壁画で目を引くのが、三之間の麝香猫(じゃこうねこ)や上段之間の吐綬鶏(とじゅけい)など、主に中国からもたらされた珍しい動物です。名古屋市の展示解説によると、当時の権力者たちは舶来品に関心を寄せていて、こうした動物は絵の題材として広く用いられました。三之間の《麝香猫図》の原画は慶長19年(1614)の作で、重要文化財に指定されています。

藩主が公式に人と会う部屋に、見る人の多くが実物を知らない異国の動物を、金地の大画面で描かせる。画題の選び方からも、ここが御殿の表舞台だったことが伝わってきます。

対面所|藩主が身内と過ごす部屋の、穏やかな風俗図

名古屋城本丸御殿 対面所の次之間と上段之間
対面所 次之間・上段之間(名古屋城本丸御殿)。京都や和歌山の名所と人々を描いた風俗図の復元模写。写真提供:名古屋城総合事務所

対面所は、藩主が身内や家臣と私的に対面したり、宴を開いたりした部屋です。公式の場である表書院とは役割が違い、障壁画の雰囲気もがらりと変わります。

上段之間と次之間に描かれているのは「風俗図」と呼ばれる絵で、京都や和歌山の四季の風物や名所、そこでにぎわう人々が穏やかな筆致で描かれています。名古屋城の展示解説によると、次之間の風俗図は和歌山の景色を描いたものと考えられ、古来の名所・和歌浦を中心に景色が広がります。和歌山は、義直の正室・春姫の生まれ故郷です。描いたのは、狩野甚之丞(じんのじょう)とその一門と考えられています。

金地に大きく動物を描いた玄関や表書院に比べると、対面所の絵は人物や建物が細やかに描き込まれ、近くでじっくり眺めたくなる画面です。天井は豪華な折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)で、私的な部屋でも格式は保たれています。

上洛殿|将軍を迎えるための部屋と、33歳の狩野探幽

名古屋城本丸御殿 上洛殿一之間
上洛殿 一之間(名古屋城本丸御殿)。襖絵、彫刻欄間、天井板絵まで復元されている。写真提供:名古屋城総合事務所

本丸御殿の奥に現れるのが上洛殿(じょうらくでん)です。1634年(寛永11)、3代将軍・徳川家光が京都へ向かう途中で名古屋城に泊まることになり、それに先立って増築されました。江戸時代には「御成書院(おなりしょいん)」と呼ばれた、本丸御殿で最も絢爛豪華な建物です。

室内の障壁画を手がけたのは狩野派で、名古屋城の公式サイトによると、なかでも当時33歳の狩野探幽が描いた《帝鑑図(ていかんず)》や《雪中梅竹鳥図(せっちゅうばいちくちょうず)》は傑作とされています。探幽は狩野永徳の孫にあたり、若くして江戸幕府の御用絵師となった絵師です。

《帝鑑図》|将軍の部屋に描かれた「皇帝の手本」

名古屋市の出品リストによると、上洛殿一之間の東側の襖には《帝鑑図〔褒奨守令〕》が描かれています。帝鑑図は、中国・明の時代にまとめられた『帝鑑図説』をもとに、歴代皇帝の手本となる行いと戒めとなる行いを描く画題です。〔褒奨守令〕は、地方を治める官吏(守令)をほめたたえる場面にあたります。

将軍を泊める部屋に、為政者の心得を示す絵を描く。上洛殿の画題は、部屋を使う人の立場から選ばれていることがよくわかります。墨を主体にした落ち着いた画面で、金地に虎と豹が躍る玄関とはまったく違う空気をまとっています。

名古屋城本丸御殿 上洛殿上段之間
上洛殿 上段之間(名古屋城本丸御殿)。黒漆塗の二重折上格天井と帳台構(ちょうだいがまえ)を備える。写真提供:名古屋城総合事務所

《雪中梅竹鳥図》|墨と金泥で描いた雪景色

《雪中梅竹鳥図》は、雪をかぶった梅や竹に小鳥を配した四面の襖絵で、原画は重要文化財です。紙に墨で描き、淡い彩色と金泥を加えています。画面を色で埋め尽くすのではなく、余白を大きく残して雪の冷たさと明るさを感じさせる構成で、金地の濃密な障壁画とは対照的な、探幽らしい軽やかさが見どころです。

二之間の《琴棋書画図》と、祖父・永徳

上洛殿の二之間には《琴棋書画図(きんきしょがず)》が描かれています。琴・囲碁・書・絵画という、中国の文人のたしなみを表す画題です。同じ画題は探幽の祖父・狩野永徳も京都・聚光院の襖に描いていて、2026年に東京国立博物館で開かれている大徳寺展にも出品されています。祖父と孫が同じ画題をどう描いたかを比べると、狩野派が受け継いだものと、探幽の時代に変わったものが見えてきます。

上洛殿まで含めた本丸御殿の全体は、名古屋城の観覧料だけで見られます。名古屋城公式サイトの「WEBチケット」もアソビュー!の販売ページにつながっていて、電子チケットを用意しておけば当日窓口での支払いが要りません。

絵だけではない|彫刻欄間・天井・飾金具

名古屋城本丸御殿 上洛殿南入側の彫刻欄間
上洛殿 南入側の彫刻欄間(名古屋城本丸御殿)。写真提供:名古屋城総合事務所

本丸御殿では、部屋の格式や用途によって、天井や欄間、飾金具、障壁画のつくりや意匠が変わります。名古屋城の公式サイトは、これを江戸時代初期に完成した武家風書院造の特徴として紹介しています。

違いがいちばんわかりやすいのは天井です。廊下はシンプルな竿縁天井ですが、上洛殿の一之間は折上格天井、上段之間は天井を二段に持ち上げた二重折上格天井になっていて、格子の一つひとつに天井板絵がはめ込まれています。欄間も、鳥や植物を立体的に彫って極彩色で仕上げた彫刻欄間に変わり、襖の引手や長押の釘隠しにも細かな金具が付けられています。

黒木書院と湯殿書院|豪華さを抑えた空間

名古屋城本丸御殿 黒木書院
黒木書院(名古屋城本丸御殿)。松材を使った落ち着いた空間に、水墨の山水図が描かれる。写真提供:名古屋城総合事務所

黒木書院は、清須城内にあった家康の宿を移築したとも伝えられる建物です。ほかの部屋が総ヒノキ造りなのに対し、黒木書院には良質な松材が使われ、その色から「黒木」の名がつきました。襖には水墨の山水図が描かれていて、金地の部屋を見たあとでは、墨だけの静かな画面がかえって印象に残ります。

将軍専用の浴室だった湯殿書院は、湯船のない蒸し風呂でした。外の釜で沸かした湯気を室内に引き込む仕組みで、御殿の暮らしの一面を伝えています。

本物の障壁画はどこで見られる?|西の丸御蔵城宝館

名古屋城 西の丸御蔵城宝館の外観
西の丸御蔵城宝館の外観(名古屋城)。写真提供:名古屋城総合事務所

御殿の中にあるのは復元模写です。江戸時代に描かれた原画を見たいなら、正門を入ってすぐの西の丸御蔵城宝館(にしのまるおくらじょうほうかん)へ向かいます。2021年11月に開館した施設で、重要文化財の本丸御殿障壁画をはじめ、名古屋城が所蔵する文化財を保存・公開しています。外観は、かつて西之丸にあった米蔵(三番蔵・四番蔵)を再現したものです。

原画はいつも同じものが並んでいるわけではなく、テーマを決めて入れ替えながら展示されています。たとえば2025年10月から2026年5月にかけては、上洛殿をはじめとする本丸御殿の障壁画を4期に分けて紹介する展示が、2026年5月から7月には上洛殿や黒木書院の水墨画を集めた展示が、7月から8月には夏の草花を描いた障壁画の展示が開かれました。

一方、2026年10月1日から11月29日までは、開館5周年記念特別展「黄金をまとう鯱」が開かれています。金鯱の歴史と研究を紹介する展示で、障壁画が主役の展示ではありません。障壁画の原画を目当てに行くなら、訪れる時期の展示内容を名古屋城公式サイトの「西の丸御蔵城宝館展示」で確かめてから出かけると確実です。

城宝館の入館料は無料で、名古屋城の観覧料だけで入れます。障壁画の原画が展示されている時期なら、御殿で復元模写を見たあとに城宝館へも立ち寄りたいところです。創建時の色彩を再現した模写と、400年を経た原画の違いを見比べられます。

鑑賞のコツと順路

  • 入口は2か所:中之口部屋横の出入口からは玄関・表書院・対面所・上洛殿、湯殿書院前の出入口からは湯殿書院・黒木書院を見られます。部屋の役割の変化をたどるなら、中之口部屋横から入ります。
  • 靴を脱いで入館:素足やストッキングの場合は、備え付けのスリッパに履き替えます。大きな荷物は御殿内の無料ロッカーへ。
  • 触れない・フラッシュを使わない:襖や障子、金具には手を触れられません。障壁画保護のため、カメラのフラッシュは事前に切っておきます。
  • 照明は控えめ、冷暖房なし:江戸時代の空間を再現するため照明を抑えていて、冷暖房やトイレはありません。夏や冬は服装で調整を。
  • 入館は16:00まで:正門・東門から本丸御殿までは歩いて10分ほどかかります。夕方に行く場合は時間に余裕を持って。
  • 解説を聞きながら回るなら:公式の本丸御殿音声ガイドも用意されています。

僕のおすすめは、部屋ごとに「この部屋は誰が、何のために使ったのか」を先に確かめてから、絵の題材を見ることです。早見表を手元に置いて歩くと、虎、珍しい動物、名所の人々、皇帝の物語へと移り変わる画題の意味がつかみやすくなります。

観覧料・チケット・基本情報

名古屋城の観覧料は、2026年10月1日から大人1,000円に改定されました(それまでは500円)。本丸御殿と西の丸御蔵城宝館に追加料金はかからず、観覧料だけで入れます。

観覧料大人1,000円/名古屋市内在住の65歳以上300円(確認書類が必要)/中学生以下無料
※2026年10月1日改定
本丸御殿・西の丸御蔵城宝館入館無料(名古屋城の観覧料が必要)
開園時間9:00〜16:30(本丸御殿・西の丸御蔵城宝館の入館は16:00まで)
※催事などで変更になる場合あり
休園日12月29日〜31日、1月1日
天守閣閉館中(内部には入れません)
所在地愛知県名古屋市中区本丸1-1
アクセス地下鉄名城線「名古屋城」駅7番出口から徒歩5分

アソビュー!の電子チケットは購入日から3か月有効で、当日はQRコードで入場します。購入後のキャンセルはできないので、日程が決まってから購入すると安心です。最新の料金や開園時間は、名古屋城公式サイトの料金ページで確認してください。

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まとめ|部屋の順に歩くと、絵が御殿の使われ方を語る

名古屋城本丸御殿の障壁画は、部屋の役割に合わせて画題が選ばれています。玄関では虎と豹が来訪者を迎え、表書院では舶来の動物が藩主の公式の場を飾り、対面所では名所の風俗図が私的な時間を彩り、上洛殿では狩野探幽の《帝鑑図》が将軍に為政者の手本を示します。順路どおりに歩くと、絵そのものが御殿の使われ方を語っていることがわかります。

復元模写で空間全体を体験したら、障壁画の展示時期には西の丸御蔵城宝館で江戸時代の原画へ。どちらも観覧料だけで見られるので、名古屋城を訪ねたら、天守の外観を眺めて終わりにせず、本丸御殿まで足を延ばす価値があります。

参考

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