葛飾北斎の代表作10選|《神奈川沖浪裏》《凱風快晴》から晩年の肉筆画まで画像付きで解説

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大波が小舟に襲いかかる《神奈川沖浪裏》、真っ赤に染まった《凱風快晴》。葛飾北斎(1760〜1849)の代表作といえば、まず「冨嶽三十六景」の富士山を思い浮かべる人が多いはずです。

ただ、北斎が90年の生涯で手がけた作品は、富士山の風景画だけではありません。滝や橋を描いた名所絵、井戸から現れる幽霊の絵、花と虫を描いた花鳥画、「絵の百科事典」と呼ばれる『北斎漫画』、そして80代後半に描いた肉筆画まで、ジャンルも表現も驚くほど幅広いのが北斎です。

この記事では、北斎の代表作を10点に絞り、すべて画像付きで見どころを解説します。「冨嶽三十六景」以外の名作も含めて見ていくと、北斎がなぜ「画狂老人」と名乗るほど描くことに打ち込んだのかが見えてきます。

目次

葛飾北斎の代表作10選|一覧

まずは10作品を一覧で紹介します。制作年は、現在の研究で一般的とされる目安です。

No作品名制作年(目安)種類
1冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏天保2年(1831)頃風景版画
2冨嶽三十六景 凱風快晴天保2年(1831)頃風景版画
3冨嶽三十六景 山下白雨天保2年(1831)頃風景版画
4冨嶽三十六景 甲州石班沢天保2年(1831)頃風景版画
5諸国瀧廻り 木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ瀧天保4年(1833)頃名所絵
6諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし天保4〜5年(1833〜34)頃名所絵
7百物語 さらやしき天保2〜3年(1831〜32)頃妖怪画
8燕子花(大花シリーズ)1830年前後花鳥画
9北斎漫画文化11年(1814)〜絵手本(版本)
10雷神図弘化4年(1847)肉筆画

北斎の人物像や生涯については【初心者向け】葛飾北斎とは?代表作・特徴・富嶽三十六景の見どころで詳しく紹介しています。この記事では作品そのものに焦点を当てていきます。

「冨嶽三十六景」の名作4選

「冨嶽三十六景」は、さまざまな場所から見た富士山を描いた風景版画のシリーズです。天保2年(1831)頃から刊行が始まり、北斎は70代前半でした。好評を受けて10図が追加され、全46図で構成されています。

1.《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》大波と押送船、遠くの富士山
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》天保2年(1831)頃、メトロポリタン美術館所蔵の摺り。Public domain, via Wikimedia Commons

北斎の作品の中でも、世界でもっとも知られている一枚です。すみだ北斎美術館は、本作を「冨嶽三十六景」全46図だけでなく、北斎の全画業においても代表作と位置づけています。

描かれているのは、房総や伊豆から江戸へ鮮魚を運ぶ「押送船(おしおくりぶね)」が、東京湾の沖で大波にもまれる場面です。今にも崩れ落ちそうな波頭と、遠くで静かにたたずむ小さな富士山。この「動」と「静」の対比が、画面に強い緊張感を生んでいます。

波の先端は、獲物をつかもうとする爪のように細かく枝分かれしています。19世紀後半にはヨーロッパでも広く知られるようになり、作曲家ドビュッシーの交響詩『海』の楽譜の表紙にも、この波をもとにした図案が使われました。作品の詳しい見どころは北斎《神奈川沖浪裏》徹底解説で紹介しています。

2.《冨嶽三十六景 凱風快晴》

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》赤く染まった富士山とうろこ雲
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》天保2年(1831)頃。通称「赤富士」。Public domain, via Wikimedia Commons

通称「赤富士」。画面のほとんどを、赤く染まった富士山が占めています。「凱風」は南から吹くおだやかな風、「快晴」はよく晴れた空のこと。夏から秋の早朝、朝日を受けて山肌が赤く見える瞬間を描いたものと考えられています。

山と空と雲だけという、きわめてシンプルな構成です。それでも、裾野に広がる樹林の点描、山頂付近に残る雪、空に並ぶうろこ雲によって、雄大な富士山の姿が伝わってきます。《神奈川沖浪裏》と並んで、シリーズを代表する一枚です。

3.《冨嶽三十六景 山下白雨》

葛飾北斎《冨嶽三十六景 山下白雨》山のふもとに走る稲妻
葛飾北斎《冨嶽三十六景 山下白雨》天保2年(1831)頃。Public domain, via Wikimedia Commons

《凱風快晴》とほぼ同じ構図で描かれながら、まったく違う表情を見せるのが《山下白雨》です。「白雨」はにわか雨のこと。山頂付近は晴れているのに、黒く塗られた山のふもとでは稲妻が走っています。

同じ山の上と下で、天気がまったく違う。高い山ではよく起こる現象を、北斎は一枚の絵にまとめました。《凱風快晴》と並べて見ると、構図が似ているからこそ、光と天気による違いがはっきり伝わります。

4.《冨嶽三十六景 甲州石班沢》

葛飾北斎《冨嶽三十六景 甲州石班沢》岩の上で網を打つ漁師と富士山
葛飾北斎《冨嶽三十六景 甲州石班沢》天保2年(1831)頃。Public domain, via Wikimedia Commons

甲斐国(現在の山梨県)の富士川で、突き出た岩の上から網を打つ漁師を描いた作品です。漁師の体と網、その先の岩が三角形をつくり、遠くの富士山の三角形と呼応しています。

「冨嶽三十六景」では、ベロ藍と呼ばれる輸入の青色顔料が効果的に使われています。《甲州石班沢》は、初期の摺りが藍の濃淡だけで刷られた「藍摺(あいずり)」の作品として知られ、青一色でも奥行きのある風景を表現できることを示しました。

名所絵シリーズ|滝と橋に挑んだ北斎

「冨嶽三十六景」の成功のあと、北斎は同じ版元の西村屋与八(永寿堂)などから、新しい名所絵のシリーズを次々と発表します。題材に選んだのは、流れ落ちる水と、そこに架かる橋でした。

5.《諸国瀧廻り 木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ瀧》

葛飾北斎《諸国瀧廻り 木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ瀧》円形の滝口から落ちる滝
葛飾北斎《諸国瀧廻り 木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ瀧》天保4年(1833)頃、メトロポリタン美術館所蔵の摺り。CC0, via Wikimedia Commons

「諸国瀧廻り」は、全国の名瀑を描いた全8図のシリーズで、天保4年(1833)頃の刊行とされます。どの作品も縦長の画面を生かし、水が落ちる姿を大胆に描いています。

《阿弥陀ヶ瀧》は、現在の岐阜県郡上市にある滝がモデルです。滝口がまるい形に抜けて描かれ、その内側には渦を巻くような模様が見えます。実際の景色をそのまま写したというより、滝の神秘性をデザインとして強調した作品です。崖の上では、旅人たちが食事をとりながら滝を眺めています。

6.《諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし》

葛飾北斎《諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし》5連アーチの錦帯橋
葛飾北斎《諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし》天保4〜5年(1833〜34)頃、メトロポリタン美術館所蔵の摺り。CC0, via Wikimedia Commons

「諸国名橋奇覧」は、各地の名橋を描いた全11図のシリーズです。「奇覧」という題名のとおり、実在の橋を描きながらも、北斎の想像力で珍しい景色に仕立てています。

「すほうの国きんたいはし」は、周防国(現在の山口県)の岩国にある錦帯橋を描いた作品です。5つのアーチが連なる独特の形を、真横から見た構図で大きく表しています。橋の上を行き交う人びとの小さな姿も見どころです。

妖怪画と花鳥画|風景画だけではない北斎

7.《百物語 さらやしき》

葛飾北斎《百物語 さらやしき》井戸から現れるお菊の幽霊
葛飾北斎《百物語 さらやしき》天保2〜3年(1831〜32)頃。Public domain, via Wikimedia Commons

「百物語」は、江戸時代に流行した怪談会の名前をシリーズ名にした作品群です。現在確認されているのは5図だけですが、すみだ北斎美術館は、いずれも独創的で幽霊・妖怪画の白眉と評価しています。

《さらやしき》は、主人の大切な皿を割ったために殺された下女・お菊の霊が、井戸から現れる場面です。首から下が皿を連ねた蛇のような体になっている表現は、ほかの絵師には見られない北斎ならではの発想です。口から吐く息のような白い線まで描かれ、怖さの中に不思議なユーモアもあります。

8.《燕子花(かきつばた)》(花鳥画)

葛飾北斎《燕子花》カキツバタとキリギリスを描いた花鳥画
葛飾北斎《燕子花》(通称「大花」シリーズ)1830年前後、メトロポリタン美術館所蔵の摺り。CC0, via Wikimedia Commons

北斎は、花や虫、鳥を大きく描いた花鳥画でも優れた作品を残しています。この作品は、画面いっぱいにカキツバタを描き、葉の根元にキリギリスを配したもの。大判の画面に花を大きく描いた、通称「大花」と呼ばれるシリーズの1点です。

風に揺れる細長い葉のリズム、花びらの柔らかな質感、そして小さな虫の存在感。風景画で見せたダイナミックな構図とは違う、観察力の細やかさが伝わってきます。

『北斎漫画』と晩年の肉筆画

9.『北斎漫画』

葛飾北斎『北斎漫画』初編の見開き。人びとの姿がびっしり描かれている
葛飾北斎『北斎漫画』初編、文化11年(1814)刊、メトロポリタン美術館所蔵。CC0, via Wikimedia Commons

『北斎漫画』は、絵を学ぶ人のための手本として出版された「絵手本」です。初編は文化11年(1814)、北斎が54歳のときに刊行され、最終的には全15編になりました。

すみだ北斎美術館によると、総図数は約3900。人間の動き、職人の仕事、動植物、神仏や妖怪まで、あらゆるものが描かれており、「絵の百科事典」と呼ぶにふさわしい内容です。ここでいう「漫画」は現在のコミックではなく、「気の向くままに描いた絵」という意味合いの言葉です。

19世紀後半にはヨーロッパにも伝わり、西洋の画家たちが日本美術に関心を持つきっかけのひとつにもなりました。

10.《雷神図》(肉筆画)

葛飾北斎《雷神図》黒雲の中で太鼓を背負う赤い雷神
葛飾北斎《雷神図》弘化4年(1847)、スミソニアン国立アジア美術館(フリーア美術館)所蔵。紙本着色の掛軸(表装部分を除いて掲載)。Public domain, via Wikimedia Commons

最後は、版画ではなく、北斎自身が筆で描いた肉筆画です。《雷神図》は弘化4年(1847)、北斎が数え88歳のときの作品で、現在はアメリカのスミソニアン国立アジア美術館(フリーア美術館)が所蔵しています。

背中に太鼓を背負った雷神が、渦を巻く黒雲の中に浮かんでいます。墨を飛ばしたような雲の表現と、赤い体の雷神の対比が鮮やかです。北斎は晩年、版画よりも肉筆画に力を注ぎました。80代後半でもこれだけ勢いのある絵を描いていたことが、この一枚からよくわかります。

年代で見る北斎の画業|画号でたどる6つの時代

北斎は生涯に30回以上も画号(絵師としての名前)を変え、93回引っ越したと伝えられるほど、変化を恐れない絵師でした。私たちが知る「北斎」も、数ある画号のひとつにすぎません。

北斎の作品を多く所蔵する島根県立美術館は、20歳から90歳までの約70年の画業を、主な画号ごとに6つの時期に分けています。各時期の代表的な作品と、この記事で紹介した10選がどの時期にあたるかもあわせて整理しました。

時期(画号)年齢西暦の目安主な活動代表的な作品
春朗(しゅんろう)期20〜35歳1779〜1794年頃勝川春章に入門し、役者絵などを幅広く描いた修業時代役者絵、黄表紙の挿絵など
宗理(そうり)期35〜45歳1794〜1804年頃摺物(すりもの:注文制作の豪華な版画)や狂歌本の挿絵で活躍摺物、狂歌絵本
葛飾北斎46〜51歳1805〜1810年頃読本(長編小説)の挿絵で第一人者に『椿説弓張月』の挿絵
戴斗(たいと)期51〜60歳1810〜1819年頃絵を学ぶための「絵手本」の制作に力を注ぐ『北斎漫画』(1814年〜)
為一(いいつ)期61〜74歳1820〜1833年頃豪華な摺物と錦絵の時代。風景版画の名作が集中する「冨嶽三十六景」「諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」「百物語」《燕子花》
画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ)期75〜90歳1834〜1849年肉筆画を中心に、新たな画境へ挑む《雷神図》(1847年)

※年齢は数え年。時期区分と年齢は島根県立美術館の画歴紹介にもとづき、西暦は北斎の生年(1760年)から換算した目安です。

10選に入らなかった前半生の3つの時期にも、それぞれを代表する仕事があります。

春朗期|役者絵から出発した修業時代

北斎は安永8年(1779)、20歳の頃に役者絵の名手・勝川春章の門下に入り、「春朗」の名で絵師としてデビューしました。この時期は役者絵を中心に、黄表紙(大人向けの絵入り小説)の挿絵や、遠近法を取り入れた「浮絵(うきえ)」など、さまざまなジャンルを手がけています。

勝川春朗(葛飾北斎)の役者絵 市川鰕蔵
勝川春朗(のちの葛飾北斎)による役者絵。歌舞伎役者の市川鰕蔵を描いたもので、寛政3年(1791)、「春朗画」の署名があります。Public domain, via Wikimedia Commons

画面左下に「春朗画」の署名が見えるように、この頃の北斎はまだ勝川派の一員でした。のちの風景画とは作風がまったく違いますが、人物の動きをとらえる力は、この時期に鍛えられています。

宗理期|摺物で磨いた繊細な表現

勝川派を離れた北斎は、「宗理」の名を継いで活動します。この時期に力を入れたのが摺物です。摺物は、狂歌の愛好家などが注文して作らせた非売品の版画で、上質な紙や絵の具、金銀の摺りを使った豪華なものでした。

葛飾北斎の摺物《職人三十六番 太刀師》
葛飾北斎《職人三十六番 太刀師》享和2年(1802)、メトロポリタン美術館所蔵。狂歌を添えた摺物で、画面右に「宗理画」の署名があります。CC0, via Wikimedia Commons

この頃の北斎が描く女性は、細身でうりざね顔の優美な姿が特徴で、「宗理風」の美人と呼ばれます。

葛飾北斎期|読本の挿絵で人気絵師に

40代後半の北斎は、読本(よみほん:歴史や伝説を題材にした長編の伝奇小説)の挿絵で第一人者になります。代表作が、曲亭馬琴が書き、北斎が挿絵を担当した『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』(文化4〜8年〈1807〜11〉)です。

『椿説弓張月』北斎の挿絵 舜天丸が飛ぶ鳥を射落とす場面
曲亭馬琴作・葛飾北斎画『椿説弓張月』より、舜天丸が飛ぶ鳥を射落とす場面。文化4〜8年(1807〜11)刊、国立国会図書館所蔵。Public domain, via Wikimedia Commons

源為朝の活躍を描いたこの物語で、北斎は白黒の挿絵ながら、見開きいっぱいに広がる大胆な構図と劇的な場面描写で読者を引きつけました。のちの「冨嶽三十六景」に見られる迫力ある画面づくりは、この挿絵の仕事の中で磨かれていったものです。

為一期・画狂老人卍期|名前を変えて円熟へ

この記事の10選の多くが生まれた「為一期」は、北斎がすでに60〜70代だった時期です。「冨嶽三十六景」には「前北斎為一筆」(前の北斎、為一が描く)と署名されており、世間で知られた「北斎」の名を、あえて過去の名前として扱っていることがわかります。

75歳から名乗った「画狂老人卍」は、文字どおり「絵に狂った老人」という意味です。この頃に刊行した絵本『富嶽百景』のあとがきで、北斎は百歳を超えればひと筆ひと筆が生きているように描けるだろう、という趣旨の言葉を残しています。名前を変えるたびに題材も画風も変えていったことが、北斎の代表作の幅広さにつながっています。

北斎が影響を与えた画家・作品

北斎の作品は、19世紀後半のヨーロッパで起きた日本美術ブーム「ジャポニスム」の中で大きな注目を集めました。『北斎漫画』や「冨嶽三十六景」は、印象派の画家たちをはじめ、多くの芸術家に影響を与えています。

同じ時代の浮世絵師にも、北斎の風景画は大きな刺激になりました。「冨嶽三十六景」の成功のあと、名所を描いた風景画は浮世絵の人気ジャンルになり、歌川広重が「東海道五拾三次」で風景画の新しい名手として登場します。北斎の力強い造形と、広重の抒情的な空気感を比べると、二人の個性の違いがよくわかります。

浮世絵全体の流れの中での北斎の位置づけは、浮世絵とは?歴史・特徴・作り方・有名絵師8人をわかりやすく解説で紹介しています。

北斎の作品はどこで見られる?

浮世絵は光に弱いため、多くの美術館で展示期間が限られています。北斎の作品を見るなら、展覧会や展示替えの情報を確認してから出かけましょう。

東京都美術館「百花繚乱」展(2026年10月18日まで)

上野の東京都美術館で開催中の大英博物館「百花繚乱」展では、北斎の作品も紹介されています。注目は《万物絵本大全》の版下絵。完成した版画ではなく、版木を彫るためのもとになった下絵で、北斎自身の線をより直接的に感じられる貴重な資料です。

展示の見どころやチケット情報は大英博物館「百花繚乱」展の見どころ・チケットで詳しく紹介しています。

すみだ北斎美術館(東京都墨田区)

北斎が生まれ、生涯の大半を過ごした墨田区にある、北斎専門の美術館です。企画展のほか、常設展示でも北斎の生涯と代表作を紹介しています。

北斎館(長野県小布施町)

北斎が晩年に何度も訪れた長野県小布施町にある美術館で、北斎の肉筆画を中心に紹介しています。晩年の北斎の筆づかいを見たい人におすすめです。

まとめ|北斎の代表作は「富士山」だけではない

  • 北斎の代表作は「冨嶽三十六景」の《神奈川沖浪裏》《凱風快晴》《山下白雨》《甲州石班沢》
  • 滝や橋を描いた「諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」でも、大胆な構図と空想力を発揮した
  • 「百物語」の妖怪画や「大花」の花鳥画など、風景以外にも名作が多い
  • 『北斎漫画』は約3900図を収めた「絵の百科事典」
  • 80代後半でも《雷神図》のような力強い肉筆画を描き続けた

北斎の代表作の多くは、70代以降に生まれています。展覧会で北斎の作品を見るときは、その作品を何歳で描いたのかにも注目してみてください。

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