歌川国芳の《相馬の古内裏》(そうまのふるだいり)では、巨大な骸骨が破れた御簾の向こうからこちらをのぞき込む。別の作品では、筋骨隆々の豪傑が画面いっぱいに暴れ回り、猫たちは人間のように遊び、文字にまで変身する。
歌川国芳(1797〜1861)の浮世絵を見ていると、「これが本当に江戸時代の絵なのか」と驚かされます。
国芳は江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。特に武者絵で人気を得たことから「武者絵の国芳」と呼ばれましたが、それだけではありません。妖怪、猫、戯画、美人画、風景画まで、驚くほど幅広い作品を残しています。
僕が国芳のすごさを一言で表すなら、「どうすれば見る人がもっと驚くか、もっと楽しめるか」を考え続けた絵師だったことです。

この記事では、国芳がなぜ今も人気なのかを5つのポイントから紹介します。後半では、代表作《相馬の古内裏》を実際に見られる展覧会についても案内します。
歌川国芳とは?江戸後期を代表する浮世絵師
歌川国芳は1797年に江戸で生まれ、初代歌川豊国の門下で学びました。10代後半で浮世絵師としてデビューしますが、しばらくは売れない時期を過ごします。
転機になったのは30代前半。中国の小説『水滸伝』の豪傑たちを描いた《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》シリーズが大ヒットしました。
太田記念美術館によると、このシリーズの人気は刺青の流行にも影響を与えたほどでした。ここから国芳は「武者絵の国芳」として知られるようになります。
大英博物館も、国芳を歌川国貞・歌川広重と並ぶ江戸後期の主要な浮世絵師の一人と位置づけています。とくに武者絵、奇抜でユーモラスな作品、そして西洋風の風景表現で知られる絵師です。
歌川国芳は何がすごい?5つの理由
1.「武者絵の国芳」と呼ばれるほど、ヒーローを格好よく描いた
国芳の最初の大ヒット作が、1827年頃から刊行された《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》です。
『水滸伝』は、中国を舞台に108人の豪傑たちが活躍する物語。国芳はその登場人物たちを、筋肉、武器、刺青、激しい動きまで含めて、これでもかというほど力強く描きました。

魅力は、人物をただ説明的に描くのではなく、物語の中でいちばん劇的な瞬間を切り取っていることです。
刀が振り下ろされる直前。豪傑が水中で敵と組み合う瞬間。岩や波が飛び散り、体が大きくねじれる瞬間。現代の漫画や映画でいう「決めコマ」に近い迫力があります。
物語を知らなくても、「この人物は強そうだ」「このあと何が起こるんだろう」と画面に引き込まれる。国芳の武者絵が江戸の人々を熱狂させた理由がよくわかります。
2.三枚続を「一つの巨大画面」に変えた構成力
国芳の構図のすごさがもっともわかりやすいのが、代表作《相馬の古内裏》です。
舞台は、平将門の娘・滝夜叉姫が潜む荒れ果てた古御所。滝夜叉姫が妖術によって骸骨を呼び出し、大宅太郎光国を脅かす場面が描かれています。
ここで国芳は、三枚の大判錦絵を横に並べる「三枚続」を、単なる三枚の絵として使いませんでした。巨大な骸骨の頭、肋骨、腕を三枚いっぱいに広げ、三枚全部を一つの巨大な画面として使ったのです。
しかも原作では、多数の骸骨が現れます。国芳はそれを一体の巨大な骸骨へ置き換えました。東京富士美術館も、この変更によって迫力ある画面構成が生まれたと解説しています。
物語をそのまま絵にするのではなく、「どう変えれば、見る人がもっと驚くか」まで考えて再構成した。ここに国芳の現代的な感覚があります。
3.妖怪や怪物を「本当にいそう」に描いた
国芳の作品には、巨大な骸骨だけでなく、妖怪、化け物、大魚、大蛇など、人間ではない存在が次々に登場します。
それでも単なる空想画に見えないのは、怪物の体に妙なリアリティがあるからです。
たとえば《相馬の古内裏》の骸骨。頭蓋骨や肋骨、背骨の形がかなり具体的です。大英博物館は、国芳が輸入された西洋の版画資料を所持しており、この骸骨についても西洋の医学図版を参考にした可能性を指摘しています。
つまり国芳は、自由な想像力だけで怪物を描いていたわけではありません。現実の人体や海外から入ってきた新しい視覚資料を吸収し、それを妖怪の世界へ持ち込んでいたのです。
「ありえないもの」を、「ひょっとしたら本当にいるかもしれない」と思わせる。その説得力も国芳の大きな武器でした。
4.猫まで作品にしてしまう、遊びの天才だった
巨大な骸骨や豪傑を描く一方で、国芳にはまったく別の顔があります。
猫です。
国芳は猫好きとして知られ、猫を題材にした作品を数多く残しました。ただ可愛らしい猫を描くだけではありません。

《其のまま地口 猫飼好五十三疋》では、東海道五十三次の宿場名を猫の姿や駄洒落に置き換えています。《猫の当字》では、何匹もの猫を絡み合わせて文字の形にしてしまいました。国芳を中心に、江戸の浮世絵に登場する猫をまとめて見たい方は、「浮世絵の猫|国芳・広重らの名作10選」もあわせてどうぞ。
「猫を組み合わせたら文字になる」「猫で東海道五十三次をやったらどうなる」。そんな思いつきを、実際に商品として成立する浮世絵へ仕上げてしまう。
国芳の作品を見ると、浮世絵が美術館で静かに見るためだけのものではなく、江戸の人々が笑ったり驚いたりして楽しむ大衆文化だったことがよくわかります。
5.幕府の規制すら、新しいアイデアに変えた
国芳が活躍した1840年代には、天保の改革によって庶民の娯楽や出版物への規制が強まりました。
1842年の出版統制では、遊女や歌舞伎役者の似顔、名前などを浮世絵に描くことが禁じられます。人気の題材をそのまま描けなくなった浮世絵師たちにとって、大きな打撃でした。
ところが国芳は、そこで表現を止めません。
- 人物を猫や動物に置き換える
- 落書きのような絵の中に役者の特徴を忍ばせる
- 妖怪や戯画という別の題材に活路を見いだす
太田記念美術館は、国芳が天保の改革のなかで戯画に活路を見いだし、擬人化された動物などユーモアに満ちた作品を次々と生み出したと紹介しています。
規制によってできないことが増えたとき、「じゃあ別の方法でやってみよう」と考える。この柔軟さが、国芳の作品をさらに多彩にしたのです。
《相馬の古内裏》はなぜ今見ても怖い?
国芳の代表作を一枚だけ選ぶなら、まず見てほしいのが《相馬の古内裏》です。
この作品が怖いのは、骸骨が暴れ回っているからではありません。むしろ、骸骨の動きは意外なほど静かです。
巨大な指で御簾を持ち上げ、空洞になった目で室内を覗き込む。その姿は「向こう側に怪物がいる」というより、こちらの空間へ入ってこようとしているように見えます。
さらに、人間は画面の下側に小さく配置されています。骸骨の大きさと人間の小ささを同時に見せることで、サイズの異常さが一瞬で伝わります。
三枚続という横長のフォーマット、巨大な骨格、暗い背景、そして物語の「これから何かが起こる」瞬間。複数の仕掛けが組み合わさっているからこそ、約180年前の作品なのに今見ても強烈なのだと思います。
北斎・広重と国芳は何が違う?
同じ江戸後期の浮世絵でも、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳では、作品の魅力がかなり違います。
| 絵師 | 得意な表現 | 見るポイント |
|---|---|---|
| 葛飾北斎 | 風景、人物、自然現象 | 形の大胆さ、動き、構図 |
| 歌川広重 | 名所、旅、四季、天候 | 雨・雪・夕暮れなどの空気感 |
| 歌川国芳 | 武者、妖怪、戯画、猫 | 物語性、迫力、ユーモア |
北斎なら「波や富士をどう形にしたか」、広重なら「その場所の空気をどう見せたか」。そして国芳なら、「このあと何が起こるのか」に注目すると面白くなります。
北斎については葛飾北斎とは?代表作・特徴・富嶽三十六景の見どころ、広重については歌川広重 代表作12選で詳しく紹介しています。
歌川国芳の代表作
国芳を初めて見るなら、次の作品から入ると作風の幅広さがわかりやすいです。
| 作品 | 見どころ |
|---|---|
| 《通俗水滸伝豪傑百八人之一個》 | 国芳の出世作。躍動感あふれる豪傑たちを描いた武者絵 |
| 《相馬の古内裏》 | 巨大な骸骨が三枚続を横断する、国芳を象徴する一作 |
| 《猫の当字》 | 猫の体を組み合わせて文字を作る、国芳らしい戯画 |
| 《其のまま地口 猫飼好五十三疋》 | 東海道五十三次を猫と駄洒落で表現した遊び心あふれる作品 |
| 《荷宝蔵壁のむだ書》 | 落書きのような表現の中に役者の面影を忍ばせた戯画 |
《相馬の古内裏》の実物を見るなら|「百花繚乱」展が東京で開催中
ここまで読んで《相馬の古内裏》を実際に見てみたくなった人には、ちょうどいい機会があります。
東京・上野の東京都美術館で、「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画」が開催中です。
会期は2026年7月25日(土)〜10月18日(日)。大英博物館が所蔵する日本美術コレクションから江戸絵画の名品が集まり、国芳は鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、初代歌川豊国、葛飾北斎、歌川広重と並ぶ「8大浮世絵師」の一人として紹介されています。
そして国芳の代表作として展示されているのが、まさに《相馬の古内裏》1845〜1846年です。
画面で見るだけでも迫力がありますが、大判錦絵三枚続の実物を前にすると、骸骨が三枚を横断するスケールや、細かな摺りの表現まで確認できます。
展覧会の見どころ、チケット、混雑を避けやすい時間帯などは、大英博物館「百花繚乱」展の見どころ・チケットにまとめています。
江戸の名手が一堂に。
65歳以上 1,600円
まとめ|国芳は「見る人を驚かせる」浮世絵師だった
歌川国芳のすごさは、単に絵が上手だったことではありません。
- 豪傑を映画のワンシーンのように格好よく描く
- 三枚続を一つの巨大画面として使う
- 骸骨や妖怪に現実感を与える
- 猫や駄洒落まで浮世絵にする
- 規制の中でも新しい表現を考え続ける
国芳はいつも、「普通に描くだけでは終わらない」絵師でした。
だから約180年経った今でも、《相馬の古内裏》を見れば思わず足が止まるし、猫の絵を見れば笑ってしまう。時代が変わっても人を驚かせ、楽しませる力が残っていることこそ、歌川国芳のすごさなのだと思います。
そして今なら、《相馬の古内裏》の実物を東京で見ることができます。国芳を知ったあとに作品を見ると、巨大な骸骨の見え方もきっと変わるはずです。
江戸の名品を、今度は実物で。
65歳以上 1,600円
