美術の本をめくっていて、思わず手が止まる絵がある。ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》は、僕にとってまさにそういう一枚だ。裸の人々、巨大なイチゴやサクランボ、鳥に乗った行列、そして楽器で責め立てられる地獄。500年以上も前に描かれたとは思えないほど、見れば見るほど「これは一体、何なんだ?」と引き込まれていく。
この記事では、ボスの代表作《快楽の園》を、三連祭壇画という仕掛けから左・中央・右の3つの場面、そして「結局この絵は何を言いたいのか」という謎まで、順を追って読み解いていく。マドリードのプラド美術館で実物を見る前の予習にも、見たあとの答え合わせにも使ってもらえたらうれしい。
作品データ:快楽の園(三連祭壇画)/1490年〜1500年頃/油彩・板(外面はグリザイユ)/中央パネル 185.8×172.5cm・両翼 各185.8×76.5cm/プラド美術館(マドリード)蔵
《快楽の園》は「開くと世界が変わる」三連祭壇画
まず知っておきたいのが、この絵が一枚板ではなく三連祭壇画(トリプティク)だということ。中央の大きな板の左右に、扉のように折りたためる翼が付いた形式で、もともとは教会の祭壇などに置かれ、開いたり閉じたりして使われた。《快楽の園》はサイズも大きく、中央パネルだけで高さ約185cm、翼を広げると横幅は約4mにもなる。
おもしろいのは、扉を閉じたときの外側の面だ。ここには色を抑えたグリザイユ(灰色や褐色の濃淡だけで描く単色画のこと)で、まだ人も動物もいない、創造の途中の世界が球体のなかに描かれている。旧約聖書の天地創造の場面で、神が世界をつくっている最中だ。扉を閉じるとモノクロームの静かな地球、そして扉を開くと、いきなり極彩色の楽園と地獄が目に飛び込んでくる。この落差そのものが、ボスの仕掛けた最初の見どころだと僕は思う。
【左の翼】エデンの園──すべてが始まる楽園
扉を開くと、左の翼にはエデンの園が広がっている。中央に立つ神が、つくられたばかりのイヴをアダムに引き合わせている場面だ。地面にはウサギやキリンのような動物が草を食み、奥にはピンク色の噴水(「生命の泉」と呼ばれる)がそびえる。一見すると、平和で美しい楽園。
ただ、よく見ると雲行きはあやしい。泉の根元の暗い穴からはフクロウがこちらをじっと見つめ、池では動物たちが早くも互いに争っている。楽園なのに、どこか不穏な影がすでに忍び込んでいる。この「完璧ではない楽園」という描き方が、僕には次の中央パネルへの伏線のように見える。
【中央パネル】裸の人々と巨大な果実が戯れる庭
そして、この絵の主役ともいえる中央パネル。ここが《快楽の園》というタイトルの由来になった場面だ。緑の野原に無数の裸の男女があふれ、人間よりも大きなイチゴやサクランボ、ブラックベリーを抱えたり、かじったり、その中に潜り込んだり。池では巨大な鳥たちと戯れ、中央の水辺の周りを、動物にまたがった裸の男たちが行列になってぐるぐると回っている。
透明な球体や貝殻に入って抱き合う男女、頭に果実を載せた人、鳥やカエルと戯れる人。ひとつひとつのモチーフを追っていくと、あっという間に時間が過ぎていく。全体としては、地上の快楽に夢中になった人間たちの姿を描いているのだけれど、不思議と道徳的な説教くささはなく、むしろ奇妙に軽やかで夢のようだ。この「うっとりするほど楽しそうなのに、どこか危うい」空気感が、この絵をただの教訓画で終わらせていない理由だと感じる。
【右の翼】地獄──楽器が拷問具になる「音楽地獄」
右の翼で、雰囲気は一変する。舞台は真っ暗な地獄。奥では街が炎に包まれ、赤い光が夜空を焦がしている。手前では、罪を犯した人間たちがさまざまな責め苦にあっている。凍った湖、巨大なナイフ、人を呑み込む鳥の頭をした怪物。ボスの想像力が、ここで一気に爆発する。
とりわけ有名なのが、この地獄の中央に立つ「木の男(ツリーマン)」だ。割れた卵のような胴体に、枯れ木のような脚が生え、頭には円盤とバグパイプを載せている。うつろな表情でこちらを振り返る、この不気味な姿はボスの自画像ではないかとも言われるが、確かなことは分かっていない。
そしてこの地獄は、しばしば「音楽地獄」と呼ばれる。ハープ、リュート、太鼓といった楽器が、人を押しつぶしたり串刺しにしたりする拷問の道具として描かれているからだ。生前に音楽や快楽におぼれた者が、その楽器そのもので罰せられる──そんな皮肉が込められていると読む人もいる。楽しさと苦しみが表裏一体になった、ボスらしい発想だと思う。
結局、この絵は何を伝えたかったの?
左が楽園、中央が快楽の庭、右が地獄。この並びを素直に読めば、「地上の快楽に溺れると、やがて地獄へ落ちる」という戒めの絵に見える。実際、そうした道徳的な警告として解釈するのが伝統的な見方だ。
ただ、話はそう単純ではない。中央パネルの人々があまりに幸福そうで、罪の意識も苦しみも感じさせないため、「これは失われた理想郷への憧れではないか」「人類がまだ堕落しきる前の、無垢な喜びを描いたのでは」と読む研究者もいる。ボス自身の人生や制作の意図についてはほとんど記録が残っておらず、はっきりした「正解」は今も分かっていない。だからこそ、500年ものあいだ人々が解釈を重ねてきた。答えが一つに定まらないこと自体が、この絵の大きな魅力なのだと思う。
ちなみにボスは、フェルメールやレンブラントより一世代以上前、ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》などと同じ初期ネーデルラント絵画の系譜に連なる画家だ。緻密な描写の伝統を受け継ぎながら、ここまで奇想天外な世界を生み出したところに、ボスの飛び抜けた個性がある。
どこで見られる?──プラド美術館(マドリード)
《快楽の園》は、スペイン・マドリードのプラド美術館が所蔵している。もともとはスペイン王フェリペ2世が入手したと伝わり、1939年以降プラド美術館に収められている。ベラスケスやゴヤと並ぶ、同館を代表する至宝の一つだ。
実物は写真で見るよりずっと大きく、細部の描き込みは驚くほど細かい。マドリードを訪れる機会があれば、ぜひ時間をたっぷり取って、顔を近づけたり離れたりしながら見てほしい一枚だ。
もっと深く知りたい人へ(関連書籍)
《快楽の園》の細部やボスの図像の意味をもっと深く追いたい人には、次の2冊がおすすめです。
『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学(神原正明/講談社学術文庫)
まさに本作一点を、モチーフの一つひとつから読み解いていく図像学の本。細部の意味を腰を据えて知りたい人向けです。
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まとめ──500年前の「見たことのない世界」
ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》は、閉じれば静かな天地創造、開けば楽園・快楽・地獄が一気に広がる、驚きに満ちた三連祭壇画だ。巨大な果実と裸の群像、そして楽器が拷問具になる音楽地獄。教訓なのか憧れなのか、答えは今も定まらない。だからこそ、見る人それぞれが自分なりの物語を見つけられる。プラド美術館でこの絵の前に立つ日を想像しながら、まずは細部をじっくり眺めてみてほしい。

