西洋美術史:驚きの名画背後に隠された秘密とは? ルネサンスから印象派まで

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西洋美術とは? 歴史や芸術運動をざっくりと解説

西洋美術とは、ヨーロッパと北アメリカを中心とする美術のカテゴリーです。古代ギリシャ・ローマの芸術から始まり、ルネサンス、バロック、印象派、現代アートへと発展。各時代ごとに特有のスタイルと技法があります。本記事ではゴシックから印象派までを紹介します。

西洋美術史を知り、その時代背景と人々の生活、アーティストたちの成し遂げた作品を紐解くことで、時代の流れと芸術活動がどのように関係したかを再認識させてくれます。これにより今の我々の立ち位置を知るきっかけにもなります。

西洋美術史における名画の誕生背景 ルネサンスから印象派まで(約1400年〜 1900年頃)

西洋美術史の中で、ルネサンスから印象派までの間は、特筆して様々な芸術運動や革新的な技法が生まれた時代です。以下より時系列に解説していきます。

ルネサンス時代の革新的な画家たち(約1400年 – 1600年頃)

ルネサンスとは?

ルネサンスとはイタリア語で「再生」や「復興」を意味します。ルネサンス時代は人文主義の台頭、芸術と科学における革新、そして新しい知識と探求への関心が高まりました。また、古代ギリシャ・ローマの文化と知識の復興を特徴としました。

ルネサンス時代のヨーロッパの多くの地域では、封建制から国民国家への移行が進み、君主制の強化や新しい政治体制の形成が見られ、これが後の絶対主義の時代へとつながっていきます。

商業と貿易の拡大、大航海時代の開始により、ヨーロッパは経済的にも大きく発展しました。新しい貿易路の開拓や新大陸の発見もあり、芸術、科学、政治、宗教の各分野での進歩ヨーロッパの社会と経済に大きな影響を与えました。

このような時代背景からルネサンス時代の画家たちは、新しい技法や表現スタイルを発展させ、後世に大きな影響を与えました。マサッチオの遠近法、ボッティチェリの詩的な表現、ダ・ヴィンチの科学的アプローチなど、それぞれの画家が独自の美を追求しました。

マサッチオの遠近法の使用(約1401年 – 1428年 イタリア) 

マサッチオは早期ルネサンスにおいて遠近法を革新的に使用した画家です。彼の作品「東方賢者の崇拝」は、遠近法を用いて空間の深みを表現し、これにより、絵画にリアリティと立体感がもたらされました。遠近法やリアリズムの表現で後の芸術界に大きな影響を与えました。

東方賢者の崇拝 マサッチオ
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ボッティチェリの詩的な表現(約1445年 – 1510年 イタリア)

サンドロ・ボッティチェリの美術表現は、神話や寓意を織り交ぜたもので、彼の代表作「春」と「ヴィーナスの誕生」では、これが見事に表現されています。これらの作品には、鮮やかな色彩と繊細なディテールが溢れており、古代神話の世界をリアルに再現しています。特に「ヴィーナスの誕生」は、その動きのある構図と純粋さの象徴として描かれており、ルネサンス美術の中でも特に際立っています。

春 サンドロ・ボッティチェッリ
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ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェッリ
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「ヴィーナスの誕生」はローマ神話に登場する愛と美の女神ヴィーナスの誕生を描いており、古代ギリシャの芸術と文学に根ざしたテーマを描いています。ヴィーナスを理想化された人間の形で表現し、ルネサンス期の人文主義と密接に関連しています。

人文主義とは

人文主義は、ルネサンス期の思想運動で、古典文化への関心復興と、人間と個人の価値の再評価に焦点を当てました。古代ギリシャ・ローマの文学や哲学の研究を通じて、人間中心主義と広範な知識の追求を推進しました。この運動は、中世の「宗教中心」の世界観からの脱却を促進し、西洋文化の発展において重要な役割を果たしました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの革命的技法「スフマート」と「キアロスクーロ」(約1452年 – 1519年 イタリア)

ダ・ヴィンチの絵画技法は、人体と自然の科学的研究を絵画に取り入れるという点で革新的でした。彼の解剖学に基づく人体の描写は、「ウィトルウィウス的人体図」で表現され、解剖学に基づく人体の精密な描写と、光と影を使った立体感の表現を追求しました。

ウィトルウィウス的人体図 レオナルド・ダ・ヴィンチ
Jordi ENP, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

ダ・ヴィンチは「スフマート」という技法も発展させました。「スフマート」とはイタリア語で「煙のような」という意味を持つ絵画技法で、線の硬さを避け、影や色の境界線をぼかすことで陰影を表現し、柔らかな光と影で立体感を表現することを目的としています。この技術は「モナ・リザ」の微笑みや、「最後の晩餐」の登場人物の表情に生かされています。「最後の晩餐」は、遠近法も用いながら、中心にキリストを座らせ、三角に手を広げるシンメトリーの構図で安定感、重厚感を表現しています。

最後の晩餐:レオナルド・ダ・ヴィンチ,
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ダ・ヴィンチは「キアロスクーロ」という技法もふんだんに活用しています。「キアロスクーロ」とは、明るい部分と暗い部分のコントラストを強調することで、立体感や深みを表現する技法です。自然の観察も細かく、「岩窟の聖母」の岩石や植物の質感がそれを物語っています。ダ・ヴィンチのこのような技法は、絵画のリアリズムを高め、後の芸術史に新しい時代をもたらしました。

岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ヴィンチ
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ミケランジェロの彫刻的な絵画(約1475年 – 1564年 イタリア)

ミケランジェロの作品が芸術の歴史において非常に重要な位置を占めているのは、ルネサンス期の人間の感情や精神性を深く掘り下げ、彫刻的な人体表現や宗教画におけるドラマチックなシーンの描写にあります。

彼の彫刻的な絵画は、「彫刻は、大理石の中に閉じ込められた人体を解放する芸術だ」という考えからも現れています。バチカン市国内のシスティーナ礼拝堂祭壇壁に描かれている「最後の審判」は、キリスト教の終末論をテーマにした壁画で、キリストの再臨と最後の審判の様子を描いています。約13.7メートルの高さ、約12メートルの幅の壁画はシスティーナ礼拝堂の祭壇の壁全体を覆うほどです。ミケランジェロは、この大きな空間に数百の人物を緻密に描き込み、宗教的テーマと力強い人体表現が融合した作品を完成させました。

最後の審判 ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ
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システィーナ礼拝堂の壁画修復作業

1980年代から1990年代にかけて、システィーナ礼拝堂の壁画は大規模な修復作業が行われました。この修復では、汚れや煤を取り除き、元の色彩を可能な限り復元することに重点が置かれ、修復後、壁画の色はかつての鮮やかさを取り戻し、ミケランジェロの色彩の妙技が再び明らかになりました。人体と空の青とのコントラストが見事に復元されましたね。

一方、ミケランジェロは、彫刻家としても高く評価されています。彼の代表作には「ピエタ」や「ダビデ像」などがあり、「ピエタ」は聖母マリアの亡骸を抱く姿を象徴的に切り出しており、マリアの慈悲深い魅力的な表情と、キリストの体重を支える力強い包容、絶妙な重心のバランスがとれており、現実としてまるで今そこにいるかのように表現されています。

ミケランジェロは絵画と彫刻の両分野において、活躍したルネサンスを代表する二刀流のアーティストといえます。

ピエタ ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ 
Michelangelo, CC0, via Wikimedia Commons

ラファエロの構図と色彩(約1483年 – 1520年 イタリア)

ラファエロ・サンツィオは調和と均衡の美学を追求した絵画で知られています。ラファエロの色彩の使い方は、明るく鮮やかな色を用いて、人物や風景を生き生きと描き出しました。特に、赤、青、緑などの色を巧みに配合し、穏やかで平和な雰囲気を作り出しています。

また、構図は人物やオブジェクトを画面上に均等に配置し、視覚的な中心を作り出していました。

ラファエロの代表作「アテネの学堂」は構図と色彩による「均衡と調和」の美学に基づいて創り上げられました。このアプローチは、構図内での人物やオブジェクトの配置に繊細な注意を払うことで「対称性や幾何学的なバランス」に重点を置くことを特徴としています。

アテネの学堂 ラファエロ・サンティ
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画面中央にはプラトン、アリストテレスをはじめとする古代ギリシャの哲学者や科学者が描かれています。中心のプラトンはダ・ビンチの肖像を模したもの、手前下の肘をついている人物はミケランジェロの肖像がモデルと言われています。 画面の右端の顔だけでこちらに目を向けている人物は、ラファエロ自身の肖像で、「芸術家自身がこの偉大な知の伝統の一部である」ということを示唆しています。

ティツィアーノの色彩の革命(約1490年 – 1576年 イタリア)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオは、彼の時代における色彩表現の革命家でした。彼の作品は、豊かで感情豊かな色彩によりルネサンス期の絵画に新たな次元をもたらしました。「ウルビーノのヴィーナス」では、肌のトーンや布の質感を描くために、自然光の下で何時間も色彩を観察し、その色の観察そのままを絵の具に反映させるというものでした。このように観察からみずみずしい色彩をリアルに表現し「色彩的古典主義」と呼ばれるスタイルを確立しました。後の画家であるエドゥアール・マネはこの作品のオマージュとして「裸のマハ」を制作したことでも知られています。

ウルビーノのヴィーナス ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
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バロック芸術の情熱的な表現(約1600年 – 1700年頃)

バロック芸術とは、感情を豊かに表現する芸術が特徴です。この時代は、ルターによる宗教改革によって急速に拡大した「プロテスタント」と今までの「カトリック教会」が対立。カトリック教会は美術により宗教をより布教させていく方針をだし、感情を動かすことのできる絵画に「プロパガンダ」として利用しました。

また、この時代は、活版印刷技術の発達と大航海時代という流れで多くの情報が行き交い、世界が開けた時代です。この時代背景を経て、バロックを代表する画家が数多く誕生しました。

その中で紹介するのはルーベンスとレンブラントです。ルーベンスは動きのある構図と鮮やかな色彩で情熱的な作品を生み出し、レンブラントは光と影の劇的な使い方で内面の深い感情を表現しました。これらの技法は、後世の芸術家たちに大きな影響を与え、バロック芸術の特徴として今日も高く評価されています。

ルーベンスの動的な表現技法 (約1577年 – 1640年 イタリア)

ピーテル・パウル・ルーベンスの作品は、その生き生きとした動きと表情で知られています。「三連祭壇画」では、強烈な動きと表情の人物が描かれており、動画をストップしたような画面となっています。彼の色彩使用は、豊かで情熱的で、バロック期の芸術の中でも特にルーベンスの技法は、動的でエネルギッシュな作品を生み出し、後の芸術家たちに多大な影響を与えました。

三連祭壇画 ピーテル・パウル・ルーベンス,
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レンブラントの光と影 (約1606年 – 1669年 オランダ)

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・ラインは、ダ・ビンチの箇所で紹介した「キアロスクーロ」技法を用いて、光と影の強いコントラストを作り出しました。特に「夜警」では、光の強弱により登場人物の感情や物語性を強調しています。レンブラントの表現は、バロック期の芸術において深みとドラマを生み出し、後世の芸術家たちに影響を与えました。

夜警 レンブラント・ファン・レイン
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フェルメールの繊細な光の表現 (約1632年 – 1675年 オランダ)

ヨハネス・フェルメールの作品は、静謐(せいひつ)で繊細な光の使い方で広く知られています。彼の代表作「真珠の耳飾りの少女」では、光が巧みに取り入れられ、室内の静かな日常を神秘的に映し出しています。彼の技法は、光と影を用いて日常の瞬間に深い感情と美を吹き込むことに成功しており、後の芸術家たち、特にジャンル画に影響を与えました。

真珠の耳飾りの少女 ヨハネス・フェルメール
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ロマン主義の自然への畏敬(約1780年 – 1850年頃)

ロマン主義の時代は、啓蒙思想の影響が色褪せ始め、産業革命が進行している中で、個人の感情や自然に対する深い敬愛、そして国民主義や個人主義の台頭が見られました。ロマン主義は、これらの社会的・文化的変化を背景に、芸術の中で感情の表現を重視する傾向が強まった時代です。

光の画家、ウィリアム・ターナー(約1775年 – 1851年 イギリス)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、特に風景画で知られるイギリスの画家です。彼の作品「燃える議事堂」や「テメズ川上の戦闘」では、光と色彩のドラマチックな使い方が特徴です。ターナーの風景画は、自然の力強さと美しさを、感情的で詩的なアプローチで捉え、光と色を駆使して、風景の動的で感動的な描写を実現しました。そのため「光の画家」とも称されるターナーの作品は、後の印象派にも大きな影響を与え、ロマン主義芸術の中でも際立った存在です。

国会議事堂の火災 ウィリアム・ターナー
国会議事堂の火災 ウィリアム・ターナー
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ドラクロワの歴史画(約1798年 – 1863年 フランス)

ウジェーヌ・ドラクロワは、特に歴史画や東洋風の作品で知られています。彼の代表作「民衆を導く自由の女神」は、1830年のフランス7月革命を象徴する画であり、情熱的で動的な構成が特徴です。ドラクロワの作品は、豊かな色彩、劇的な表現、感情の強調によって、ロマン主義芸術の典型とされ、その後の象徴主義や印象派の画家たちにも影響を与え、19世紀の芸術界において重要な役割を果たしました。

民衆を導く自由の女神 ドラクロワ
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印象派とポスト印象派の光と色、形の革命(約1860年 – 1900年頃)

印象派とは?

印象派は、19世紀後半の美術界に革命をもたらした芸術運動です。印象派が発展した19世紀後半のヨーロッパ、特にフランスは、イギリス産業革命の影響と都市化の進展により大きな変貌を遂げ、科学技術の進歩と経済的な発展によって、新しい中産階級の台頭とともに、人々の生活様式や価値観にも大きな変化が見られました。

伝統的な農村から離れ、都市への人口集中が進む中で、市民生活の新しい側面が現れ、これが美術にも反映。印象派の画家たちは、自然の風景や都市生活の日常的な場面を、新しい視点から描き出し、伝統的な芸術概念からの脱却を試みたのです。印象派の芸術は、当時の人々の主流の考え方としての現代性、瞬間の感動の追求、そして日常生活の美しさの発見といった要素を反映していました。

エドゥアール・マネの実験的な作品(約1832年 – 1883年 フランス

マネは印象派の先駆者として知られています。彼の「オランピア」は、アカデミックな絵画技法に反して新しい挑戦をした作品です。当時の芸術界の慣習を疑問視し、現代性を強調した作品として評価されています。伝統的な主題を新しい視点で描くことにより、現代観念と都市生活の側面を浮き彫りにしました。

「オランピア」はパリにおける娼婦の通称

オランピア」が実験的な作品と言われるのは複数のポイントがあります。描かれている「オランピア」という名が当時のパリにおける娼婦の通称で、黒人女性が描かれていること、300年ほど前のティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」というルネサンスの象徴的な作品をオマージュとしていることなどから、当時主流のアカデミック絵画から脱却しようとしたと考えられています。また、日本の浮世絵の影響を受けており、ごく平面的に描かれています。ルネサンス以降の空間表現や陰影による立体表現を切り捨てていることがわかります。

オランピア エドゥアール・マネ
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クロード・モネの自然光の捉え方(約1840年 – 1926年 フランス

クロード・モネはフランスの画家で、印象派の中心人物として知られています。彼の「印象、日の出」は印象派という用語の由来となった作品で、伝統的な絵画の概念に挑戦し、瞬間的な自然の美しさと光の変化を捉えることに焦点を当てました。屋外で直接描く「プレナール」の技法を用い、自然光の変化を捉えることに特化したモネの手法は、印象派の核をなすものです。特に「睡蓮」シリーズは、自然と光の微妙な関係性を捉えた彼の最も有名な作品群の一つであり、印象派芸術の象徴として広く認識されています。

睡蓮 クロード・モネ
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ピエール=オーギュスト・ルノワールの人物画(約1841年 – 1919年 フランス)

ルノワールの作品は、日常生活を描いた人物画で有名です。例えば「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」では、日差しの中で踊る人々の生き生きとした姿が描かれています。ルノワールは、人々の日常生活や社交の場を主題にし、色彩の調和と光の効果を駆使して、人物の温かみや陽気さを表現しました。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 ルノワール
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ポール・セザンヌの形と色の実験(約1839年 – 1906年)

ポール・セザンヌは、ポスト印象派に位置付けられます。色彩と形の関係を深く探求した画家です。彼の作品、例えば「サント・ヴィクトワール山」シリーズでは、対象を幾何学的な形で捉え、色彩を独特な方法で使用しています。セザンヌは、従来の自然主義的な表現から一歩進んで、色と形のバランスに注目しました。

セザンヌは自然界の形態を単純化し、それを幾何学的な形(円、四角、三角)で捉えました。例えば、彼の静物画においては、果物や物体が単なる形ではなく、その背後にある幾何学的な構造を通して描かれています。セザンヌの絵画では、色彩は物体の質感や光の影響を捉えるための手段として使われ、それによって立体感が生み出されています。セザンヌのこの実験的アプローチは、後のキュビズムや抽象表現主義に大きな影響を与え「絵画の父」とも称されました。ピカソやブラックなどの芸術家が、セザンヌの形態と色彩から多大なインスピレーションを受けたことはよく知られています。

サント・ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ
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ゴッホの筆使い(約1853年 – 1890年 オランダ)

ゴッホ(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)はポスト印象派の中心的人物として、後の表現主義や現代美術に大きな影響を与えました。ゴッホの凄さは、単に美術技術の高さにあるのではなく、彼の内面から溢れ出る情緒と感情を、独自の視覚言語で表現した点にあります。彼の強烈な個人的表現と革新的な画法により、歴史上最も重要な画家の一人に位置づけられています。

ゴッホの最も顕著な特徴は、そのエネルギッシュで動的な筆使いです。彼の作品に見られる厚塗りの技法「インパスト」は、画面に強い動きを与えます。例えば「星月夜」では、渦巻く星空と動きのある風が、彼の筆の痕跡を通じて生き生きと表現されています。

彼の色使いは、特に青や黄色を用いた作品では、色彩が直接的に画家の心情や内面世界を反映し、リアルな世界を描いているものの、画家の空想の世界も同居している不思議な魅力があります。

星月夜 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
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ゴッホの感情をダイレクトに表現するスタイルと強烈な色彩に触発された画家たちは、内面的な世界や主観的な感覚を強く表現する絵画を生み出しました。エドヴァルド・ムンクやエミール・ノルデなどがその代表例です。

また、1900年代初頭のフォーヴィズムにおけるアーティスト、特にアンリ・マティスは、ゴッホの大胆な色使いから大きな影響を受け、自然界の色を直感的かつ強烈に表現し、視覚的な感動を追求しました。

印象派とポスト印象派の違い

印象派:

時代背景: 1870年代から1880年代にフランスで発展。

主な特徴:

光の変化や色彩の瞬間的な印象を重要視しました。特に、自然光のもとでの色の変化に敏感で屋外で直接風景を描く「プレナール」(野外制作)を好み、細かい筆触と明るい色彩を使用し、従来の厳格な遠近法にとらわれず、形の輪郭をぼかすことで空間自体を表現していました。日常生活の一場面や自然風景を描くことが多く、伝統的な主題や技法から離れ、人々の日常の一コマを、ありのままに表現しようとしました。

代表的な画家: クロード・モネ、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロなど。

ポスト印象派:

時代背景: 1880年代後半から1900年頃に活動。

主な特徴:

印象派の技法を受け継ぎつつ、より個人的で象徴的な表現を追求しました。色彩や形態を主観的かつ象徴的に使用し、内面世界や感情の表現に重点を置く画面構成や色彩の実験、形の歪曲など、より抽象的なアプローチを採用することもありました。伝統的な技法や表現からの脱却を図ることにより、印象派よりもさらに新しい美術の形を模索していました。ポスト印象派は、印象派の伝統を引き継ぎながらも、それを超える新しい芸術的探求を展開した重要な運動で、現代美術の発展に大きく寄与しました。

代表的な画家: ポール・セザンヌ、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、ポール・ゴーガン、ジョルジュ・スーラなど。

名画に隠された秘密と謎

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に隠されたシンボル

キリスト教のシンボリズム

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では、イエス・キリストがが磔にされる前に12人の弟子たちと晩餐絵画の中心に描かれています。構図はキリストが中心で、その周りに12人の弟子が配置されていて完璧なシンメトリーを作り出しています。一点透視図法でキリストの顔に消失点をもってくるあたりもダ・ヴィンチが計画的に構成したものであり、宗教的な象徴性と美術的な構図を両立させている傑作です。

最後の晩餐:レオナルド・ダ・ヴィンチ,
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「最後の晩餐」の手のジェスチャー

イエスは、右手のひらを少し上げて平和を象徴するジェスチャーをし、左手はパンに向けられています。このジェスチャーは、彼が「このパンは私の体である」と言っている場面を象徴しており、キリスト教の聖餐の伝統を表しています。

裏切り者とされるユダは、こちらからみてイエスの左2人目の人物です。傾きも反対側に離れていくようにに描かれており、影に隠れたような暗い表情で描かれていることがわかります。また、裏切りの報酬の際に得た銀貨30枚を握った右手が描かれていると言われています。

ペトロはこちらからみてイエスの左3人目のナイフをもった人物です。このジェスチャーは、後の出来事であるイエスの捕縛時に耳を切り落とす場面があることをを暗示しています。

このように最後の晩餐はさまざまな設定や仕掛けが施されている謎多き絵画なので、これからも新しい見解が発表されることがあるかもしれませんね。

ゴヤの暗い表現の背後にある真実

「裸のマハ」から「着衣のマハ」への反抗

裸のマハ フランシスコ・デ・ゴヤ
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フランシスコ・デ・ゴヤは、スペインのロマン主義を代表する画家であり、彼の作品「裸のマハ」と「着衣のマハ」は、19世紀初頭の彼の代表作です。

「マハ」という言葉は、当時のマドリードで使われていた俗語で、洗練されたファッショナブルな女性を指す言葉でした。

「裸のマハ」は、西洋美術で、初めて実在の女性の陰毛を描いたといわれています。ゆえに、当時の社会規範に反するものであり、ゴヤは度々裁判所へ召喚されています。しかし、なんの目的で描いたのかは最後まで口を割りませんでした。その後「着衣のマハ」を描いており当時の社会の性的倫理に対する反抗が含まれており、裸体と衣服を通じて、性的な自由と抑圧の対比を示しているといわれています。マハのモデルは諸説ありますが、ゴヤと関係のあったアルバ公爵夫人かとも言われていますので、裁判などの公の場では何も発言できなかったのかもしれないですね。 

着衣のマハ フランシスコ・デ・ゴヤ
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セザンヌの山、未完成の塗り残し

「サント・ヴィクトワール山」シリーズの謎(約1839年 – 1906年)

サント・ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ
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セザンヌはこの山を生涯にわたって何度も描きましたが、なぜ彼がサント・ヴィクトワール山にこれほどまでに執着したのかは完全には解明されていません。一部の美術史家は、この山が彼の故郷エクス=アン=プロヴァンスの象徴であるため、彼にとって特別な意味を持っていたという説もあります。一方で、セザンヌは色を形の配置に焦点を当てており、対象となるモチーフはなんでもよかったのかもしれません。「そこに山があったから」という感じでしょうか。

セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」シリーズシリーズにより光と色、形と空間の関係に対する興味を深め、独特の画法を発展させました。彼は山を様々な時間帯や季節、さまざまな視点から捉え、その姿を変化させながら描きました。これは後のキュビズムに大きな影響を与えました。

作品の未完成

塗り残しは意図的な技法か偶然か。セザンヌの多くの作品は「未完成」と言われてもおかしくないような「塗り残し」があるとされています。これまでのアカデミックな絵画技法では、遠近法やスフマートを用いて立体的に、限りなくリアルに写真に近づけるように描かれてきましたが、印象派の時代になりアーティストの精神性や考え方は重要視されるようになったという時代背景もあり、彼は作品の一部を意図的に未完成の状態に残すことで、「アーティストが描いている過程」を表現したのではないでしょうか。まさに「絵画の父」と呼ばれるようにアーティストの意志を重視した作品を制作しようとしたのです。

サント・ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ
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「塗り残し」は、この「アーティスト中心の作成方法」の探求の手段だったと考えられます。これは、観る者に作品の解釈を委ねるという現代アートにも通じる概念が見え隠れしており、当時としては革新的なアプローチでした。余白もアートの一部をして鑑賞するという発想は、まさに現代アートやデザインの空間余白にも通じるものとなっています。

サント・ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ
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