ピカソ代表作一覧|時代ごとの名画と見どころ解説

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Pablo Picasso《Portrait photograph》 via Wikimedia Commons License: Public Domain

ピカソの「代表作」を時代順にやさしく整理します。青の時代/バラ色の時代から、転機となる《アヴィニョンの娘たち》、分析的・総合的キュビスム、そして《ゲルニカ》へ。本記事では見どころ・背景・制作年を一目で把握できるようにまとめ、初学者でも“なぜこの作品が重要なのか”がすぐ分かります。

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ピカソを理解するおすすめの一冊

青/バラ色/キュビスム〜晩年までを、ピカソの年齢と“流れ”で一気につかめる入門。難解に見える作風が「なぜそう描いたか」で腑に落ちる一冊です。

目次

ピカソと代表作が生まれたそれぞれの時代

20世紀最大の画家と呼ばれるパブロ・ピカソ(1881–1973)。彼は91歳までの生涯で約8万点にのぼる作品を残し、その画風は時代ごとに劇的に変化しました。

幼少期と「父が筆を置いた」逸話

ピカソは1881年、スペイン南部マラガで誕生しました。父ホセ・ルイス・ブラスコは美術教師で、幼少期(おおむね〜10歳ごろ)から絵を教えています。
ある日、13歳のときに少年ピカソが描いた鳩のデッサンを見て、父は「息子の才能にはかなわない」と悟り、以後は筆を置いたと伝えられます。真偽はともかく、彼の早熟さを象徴する逸話として語り継がれています。

こうして天才的な才能を示したピカソは、人生の局面ごとに画風を変えながら、近代美術を根本から塗り替えていきました。10代後半〜20代前半の「青の時代」20代前半の「バラ色の時代」20代後半の「キュビスム初期」へと移行し、各期の代表作にその時々の心理や環境の変化が表れます。ここでは各時代の代表作と心境の変化を整理します。

青の時代(1901–1904)20歳〜23歳頃

なぜ始まったのか

1901年、ピカソはバルセロナからパリへ往復し、画商ヴォラールの画廊で初の個展を開催。モンマルトルの夜の享楽やカフェ文化に触れる一方、親友カルロス・カサヘマスが自殺。若きピカソは深い悲しみに沈みます。孤独や哀感を帯びた青の時代へと舵を切ります。以後4年間、彼は寒色の青を基調とした暗い作品を描き続けました。「喪失」「孤独」「貧困」というテーマに取り憑かれ、自らの痛みを画面に投影していました。

代表作

『青い部屋』(1901, フィリップス・コレクション)

1901年、20歳のピカソが描いた《青い部屋(The Blue Room / La chambre bleue)》。青の単色調で、浴槽に身をかがめる裸婦の私室を描く、青の時代初期の代表作で、静けさの中に孤独が漂います。

現在はワシントンD.C.のフィリップス・コレクションに収蔵。制作のすぐ後に描き重ねられた「隠れた肖像」が近年の調査で可視化され、創作の速度と切迫を物語ります。

Pablo Picasso《The Blue Room》1901
Pablo Picasso《The Blue Room》1901
via Wikimedia Commons
License: Public domain

『海辺の母子像』(1902, 国立美術館)

《海辺の母子像(Mother and Child by the Sea)》は、1902年の油彩です。荒い海辺に立つ母子を、深い青の階調で静かに描き、祈りと救いのイメージを重ねます。所蔵は箱根のポーラ美術館。サイズは81.7×59.8cmで、国内にある青の時代の重要作として広く知られています。

《海辺の母子像》の母親の衣は聖母マリアの青いマントを思わせ、赤い花を天に捧げる仕草は祈念の象徴と読めます。構想の背景には、パリのサン=ラザール監獄で乳児連れの女性を目にした経験が関係したという研究もあり、青の時代の社会的視線を物語ります。

同作は科学調査でも注目されました。2005年の透過X線で下層に別の絵の存在が確認され、2018年にはハイパースペクトル近赤外線でフランス語新聞紙の転写痕や、逆向きの署名などが検出されています。若きピカソがキャンヴァスを再利用しつつ、短期間に主題を更新していた実態が、技術的に裏づけられた格好です。

寒々しい海辺に立つ母子。母子の愛情を描きつつも、哀しみに包まれています

バラ色の時代(1904–1906)23歳〜25歳頃

なぜ始まったのか

「バラ色の時代」は、一般に1904年から1906年ごろを指します。直前の「青の時代」で冷たく沈んだ青の画面に貧困や孤独を描いていたピカソは、パリに定住して生活の基盤が安定するにつれ、淡いピンク(薔薇色)や黄土色、肌色へと色調が変わっていきました。

色が明るくなったからといって気分が一転して陽気になった、というより、静けさとやさしさがにじむ方向へトーンダウンした、という方がしっくりきます。画面の人物たちは穏やかな雰囲気をまといながらも、どこか物思いに沈み、互いに目を合わせない。この「親密さと孤独の同居」が、バラ色の時代の空気そのものです。

1904年、ピカソはパリ・モンマルトルの共同アトリエ、通称バトー=ラヴォワールに腰を落ち着けます。友人や支援者(画商ヴォラールなど)とのつながりが深まり、日々の暮らしは苦しくても、創作環境は整っていきました。彼は近所のサーカス・メドラノ(Cirque Médrano)に通い、舞台に立つサルタンバンク(旅芸人)やアルルカン(道化役、菱形模様の衣装)を観察します。観客から見れば彼らは華やかですが、舞台を降りれば流浪の身で、居場所が不安定です。ピカソは、若い異邦人としてパリで生きる自分自身を彼らに重ね、英雄化せず、静かで詩的なまなざしで描きました。

代表作

『サルタンバンクの家族』(1905, ナショナル・ギャラリー)

《サルタンバンクの家族(Family of Saltimbanques)》は、1905年に描かれたピカソの大作。巡業芸人=サルタンバンクたち6人を、荒涼とした地平に静かに立たせた群像で、「バラ色の時代」の頂点とされ、巡業芸人に孤独な芸術家の姿を重ねたとも解釈されます。所蔵はナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)、チェスター・デール・コレクション。

NGA(The National Gallery of Art)の作品解説ページ
https://www.nga.gov/artworks/46665-family-saltimbanques?utm_source=chatgpt.com

キュビズム(1907–1916)26歳〜35歳頃

なぜ始まったのか

ピカソはパリでアフリカやイベリアの古い彫刻、仮面に出会い、顔や身体の表し方を根本から見直します。目・鼻・口は仮面のように単純化され、体は角張った面(プレーン)の集合へと置き換えられていく。

伝統的な遠近法や“光の再現”より、形の骨格を優先した結果、空間は浅く、正面性の強い画面が生まれます。周辺文化への視線を含むこの時期には、今日の観点から植民地主義的な背景も指摘されますが、表現上の収穫は明確でした。

つまり、ピカソは「見えたまま」をやめ、「知っている形」「感じた構造」で人と物を組み直し始めたのです。到達点として《アヴィニョンの娘たち》(1907)があり、分解と再構成の発想はここで一気に可視化されます。

この実験はキュビズムとして名前を得ます。ピカソとブラックが並走し、のちにファン・グリスらも加わりました。キュビズムは一言でいえば、複数の視点や時間差の見え方を一枚の画面に重ね、対象を面に分解して再構成する方法です。まず分析的キュビズム(約1908〜12)では、灰色や褐色を中心に、瓶、ギター、人物の顔などを細かな面へ割り、ほぼ抽象の手前まで分解します。奥行きは弱く、画面は静かだが密度が高い。鑑賞のコツは、ギターの丸穴、グラスの縁、タバコ箱のラベルのような“決定的な断片”を拾い、そこから全体を読み起こすことです。

代表作

『アヴィニョンの娘たち』(1907, MoMA)

ピカソの《アヴィニョンの娘たち》(1907)は、近代絵画を一気に切り替えた転換点です。五人の裸婦を、正面・横・上からの視点を混ぜて一枚に重ね、身体と背景を鋭い平面で分解。遠近法や滑らかな量感をあえて壊し、「見え方そのもの」を主題にします。

右側の二人に見られる仮面のような顔は、当時のアフリカ美術やイベリア彫刻への関心を映し、官能だけでなく畏れや原初性も感じさせます。

画面下の果物の静物は手前へせり出し、鋭い三角形のリズムが全体の緊張を保ちます。左端の青い量感と中央のねじれたポーズ、そして視線のぶつかり合いに注目すると、絵が持つ暴発するエネルギーが伝わります。

所蔵はニューヨーク近代美術館(MoMA)。「キュビスム初期」の起点として、後の美術に連鎖した理由が、ここに凝縮されています。

アヴィニョンの娘たちとは?徹底解説・意味・見どころをやさしく解説 >

新古典主義とその後(1917–1924)36歳〜40歳前半頃

なぜ始まったのか

第一次世界大戦後、社会全体が秩序を取り戻そうとする中、ピカソもクラシックな様式に回帰しました。古代彫刻やルネサンス美術の影響が色濃く表れます。

戦争による混乱から安定を求め、均整のとれた人物表現に立ち返りました。

代表作

『三人の女』(1921, MoMA)

堂々とした裸婦を描き、キュビズムとは異なる新たな探求を示しました。

政治的作品(1930年代)49歳以降

なぜ始まったのか

1936年、スペイン内戦が勃発。ピカソは故郷の悲劇を告発するため、芸術を政治的表現として用いるようになります。「芸術は武器である」という信念。戦争の悲惨さを世界に伝える使命感を抱きました。

代表作

『ゲルニカ』(1937, ソフィア王妃芸術センター)

《ゲルニカ》を描いたのは56歳です。ナチスの空爆によって破壊された町ゲルニカを描いた大作で、反戦の象徴として知られています

パブロ・ピカソ《ゲルニカ(Guernica)》1937
パブロ・ピカソ《ゲルニカ / Guernica》1937
Photo: Winfried Weithofer (Winfried Weithofer), via Wikimedia Commons
License: CC BY-SA 4.0


月にかについてより詳しい記事は以下よりご確認ください。

ピカソ《ゲルニカ》徹底解説:意味・構図・所蔵・図録まとめ >

晩年の作品(1946–1973)64歳〜91歳以降

なぜ始まったのか

第二次世界大戦後、南仏に移住したピカソは、陶芸や版画など新たな表現に挑戦しました。
死を目前にしながらも創造への意欲を失わず、自由で遊び心に満ちた作品を次々に生み出しました。

代表作

陶芸作品(ヴァロリス時代)
太陽や動物をモチーフにした鮮やかな陶器。晩年の解放感を象徴します。

日本でピカソの陶芸(セラミックアート)を確認できる展示会があります。

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まとめ

Pablo Picasso《Portrait photograph》
Pablo Picasso《Portrait photograph
via Wikimedia Commons
License: Public Domain
  • ピカソは幼少期から天才的な才能を示し、父が筆を置いた逸話が残る。
  • 「青の時代」は喪失と孤独、「バラ色の時代」は希望、「キュビズム」は革新、「ゲルニカ」は戦争への怒りを表現。
  • 晩年まで創作を続け、20世紀美術史に圧倒的な足跡を残した。

代表作を時代ごとに整理することで、ピカソの人生と芸術の流れを一望できます。

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  • ピカソの年齢、時代ごとの代表作と背景をやさしく整理
  • キュビスムも「形の再構成」でスッと理解
  • ピカソの女性関係やゲルニカの裏話も
目次